2018年7月17日火曜日

wasdennビデオ

the SchnickSchnackの新しいビデオできてます。
https://youtu.be/50Pm0_CbM5U
ドイツ語の勉強にも少しなると思います。

むかしのベルリン

ちょっと前から、ベルリンの昔の写真がみたいという想いに駆られ、ずいぶん前にツェーレンドルフに住んでたときに住んでた家のおばさまが持ってたベルリンの古い写真集、あれがみたいんだ、、と探し続けていて、(それがどういうタイトルかは覚えていなくて)
やっとこれかもしれない と思うものを見つけました。 その前に違う写真集を一冊買って、それもけっこういいんですけど。
それをみてるうちに、あれ そういえば ちかくにmärkisches museumがあったな、と思い出しました。前にパトに あれはベルリンの歴史博物館みたいなやつだと聞いてた記憶が蘇ったのです。
それで 今日行ってきました。
特に 1800年台〜戦前くらいまでに興味があり(街や当時の人たちの様子など)
今普通に通ってるこの道の昔の状況を見たい、知りたいという私の熱は写真集で多少おちついたものの、やはり博物館ともなるとテンションの上がりをおさえられませんでした。

建物自体も素敵で見ごたえもありました。
ドイツ語と英語でしか表記やオーディオ説明がないのでそこは少し残念ですが、ベルリンの歴史に興味がある人には大おすすめしたい博物館です。相当昔から、戦争、ベルリンの壁のことや特別展なども含んで展示してあります。
入場料は7ユーロで第一水曜日は無料らしいです。あとなんか日曜とかは何かイベントが行われてるような事が書いてありました。
ミュージアムショップで昔のベルリンの地図を買い大満足で博物館をあとにしました。
またみにいきたい。今度はパトをつれていって 難しい単語などを簡単な言葉に変えて説明してもらおう。(日本語できないから 結局ドイツ語からドイツ語への通訳になる)

近くに川が流れていて公園もあり、ちかくでスープを買いひとりでぼーっと座ってたべながら、ここはチプシーを連れてくるのにいいぞとおもいました。


家に帰り 語学学校からかえってきた妹と仕事から帰ってきたパトをさそい 昼間にいった川沿いをチプさんぽの延長であるいてすわってきました。


ところでなんでわたしはそんなにその年代のベルリンに興味があるのかというと、
バイトに行く道である地点が工事中になってたため、別の道を通るようになりました。
そこの道が なんか わたしはここを知っている という思いがすごくして、あれ、こんな銅像はなかったはずだけどとか いろいろ思うようになって、昔の様子をしりたくなったのです。
ずいぶん前に、ある方に前世をみてもらったことがあって、その人が言うにはわたしは 前世がドイツ人だったということなんです。 ドイツに行くことをきめてからそのことを知り、前々からなんとなくそんな気がしてた私は やはりびっくりしました。
そのドイツ人は男性で1900年代初頭くらいまで生きた人みたいで、国のための(?)建築関係のしごとをやってたみたいです。

そいうのを聞いたことがあるから、なにかしら思い込みで ココらへん知っている とおもってしまうのかもしれないけど、 そうおもってた道が 建築アカデミー跡があるところで(あとから知った) ああもしかしたら通ってたりなんらかの関わりがあったのかなあなんて思いました。 そのあたりはベルリン城やベルリン大聖堂など昔からある大きな建物も多いし、よく人がいくところだからアカデミーは関連してるかわからないですけど。

そういうちょっと不思議なこともあり、昔のベルリンの写真を見たくて探し始めたというわけです。 興味のあることの知識をどんどん増やすのはやはりたのしいです。
理由がなんであれ。
その博物館のあたりの街もわりかし好きです。

 

妹来る/ベルリンのビザ

妹が仕事をやめて、 観光ビザ90日滞在をフル活用し いまベルリンにきております。
ずっと海外生活をしたかったらしい妹。
わたしが先に出ちゃったせいや彼女の性格もあり、タイミングを失いずっともやもやとしていたのではないかと思います。

本当はアイルランドに憧れを持ってるらしいんだけど滞在費を考えると、私のうちに寝泊まりすると宿泊代がタダになるということで うちに滞在しつつ 英語の学校に行き、アイルランド旅行もしてみるとのこと。

かれこれ一週間くらい経ちました。
チプともなれ、 パトとも英語でなんとかコミュニケーションをとっているようす。
今後どのようにしていくかは彼女次第ですが、できたらこっちで暮らしたいというようなことをぶつぶつと言っています。

問題はただひとつ。 ビザ。
いやふたつ。
それに加え、住居。

さすがにうちにずっとというわけにもいかず、
(いま滞在してるのは私達の洋服ダンスがおいてある部屋に簡易の空気入りマットレスで寝起きしている)
住居難といわれるベルリンでの家探し。

ビザはアーティストビザ(妹はアーティストでもあるので)
でなんとかなるかもしれませんが。

わたしがビザ取得で苦しんでたときよりももっと難しくなっているみたい。
私の時代は、
ワーホリ1年〜学生準備ビザ2年〜で、フリーランス ていうのが結構みんなやってたやつです。
わたしもそうやりました。
いまはドイツ人と結婚したのでビザ問題はなくなりましたが
結構いろいろ大変だったので ビザを取る苦しみはものすごくよくわかります。

なので簡単にできるよとは 口が裂けても言えない

でもやるからには自分でやらなくちゃいけない。わたしももちろん友人たちにてつだってもらいとても助けてもらったので 他の人を助けたい気持ちもあるし、必要ならば書類も書いたりなどもしていますが、
みんな自分でやって、できないところを助けてもらっている。
ほんとうに苦しい、嫌な思いをして(わざわざ、する必要はないですけど)それでもここにいたいからがんばって取得するのも、大事なことのように思います。
すんなり取れるのが一番だし、一般的には書類がそれっていればビザを出してくれるんですが、担当者によっては重箱の角をつついてくるようなひともいますし、担当者によって言うことが変わってくるのでそこはほんとどうにかしてほしいですけど、、

ということでいったいどうなることやら。



2018年7月12日木曜日

日本旅行

5月にパトとCと三人で3週間日本帰省旅行に行きました。
今回は音楽友達のドイツ人Cも、かつてからの夢、日本旅行を叶えるということで一緒です。

チプシーは 家においていき、友人や義妹が交代でうちに泊まりに来てチプの世話をしてくれるというありがたい助けにより 安心して出かけられました。
それでも 家を出るときにないてしまった、、

出発の日、ルフトハンザがストのため空港までいって 荷物あずけてチェックまですませたのにその日は飛ばず家に帰れとのことで(ほんとに!はあああ!!!という言葉にならない怒りがわいてきましたけど)仕方なくかえり、翌日再出発。
それからは順調に、実家のある神奈川、妹や友達のいる大阪、観光で京都、神戸の友達が新しくオープンさせたカフェ(すごくいい)、仕事関係で岡山、姉家族のいる広島、
いわちゃんが引っ越したさきの福岡、その後、友達のいる屋久島(一週間もおせわになった)、最後に、いい旅館に滞在したいということで鹿児島の霧島に一泊。
移動がかなりあり、たいへんでしたが、友達や家族のありがたさを再実感したすごくいい旅行でした。
屋久島では 初めて縄文杉登山をしました。
7年間住んでたのに一度もいったことなく。
今回たくさんの古くからの友人たちに会いまくり、すごく嬉しかったです。
みんないつもと一緒。会えばその頃にすぐもどってしまう。
昨日まで高校の制服着てたんじゃないかっていう。

いろんな不思議体験もして、パトも都会や自然を大満喫していて、Cも彼なりに日本を楽しんだようでよかったです。

帰ってチプにあえたときはやっぱり嬉しかったなあ。
拗ねてたらいやだなとおもってたけど 数日すればまたいつもの毎日がはじまりました。


なんというか、最近思うのは、場所じゃなくて、 人なんだなということです。
私の生まれたところは大阪。
でもいまある実家は横浜。
もちろん場所にも想いはたくさんあるけど、
私の帰るところは、 パトとチプがいるところ。
家族がいるところ。 友だちがいるところ。
それがどこであっても、わたしが帰るところは 私の好きな人達のいるところ全部なんだなと思いました。

ずーっと、 わたしはいったいどこで暮らすんだろう、どこに長く居着いたらいいんだろう、わたしはどこに居ていいんだろう、という疑問が私の中にありました。
両親や祖父母、親戚はもともと横浜や東京にいて、
わたしは大阪で生まれ、思春期は屋久島で過ごし、また大阪に戻り
ベルリンに住み、そこで夫に出会い、いまもベルリンにいる。
(世の中にはもっともっと引っ越しをくりかえしてる人たちもいるでしょう)

きっとベルリンがわたしの居着くところなんだろうっておもってたんだけど、
場所じゃないんだな、答えは。