2019年11月14日木曜日

アルバム配信と、あたらしいサイト

ミニアルバム「わすれそう」の配信がスタートしました!

https://linkco.re/VsfE8nP1


また、新しいサイトをつくりました。


https://nakayamafutaba.wixsite.com/website


今後、情報などはこちらにものせていきます!

ツイッターやら、なんやかんやもあります。

ブログも更新していきたいとおもってるんです!ですけど!

すぐわすれる!


ので ぼちぼちやっていきます。

よろしくおねがいします。

今年、(もうすぐおわる) そして来年も、

ソロにももっと力を入れていこうと思っています。

がんばるぞ〜 ぼちぼち!

2019年4月23日火曜日

犬のよこで歌う

最近わたしもユーチューブに動画をアップしています。

犬の横でうたうということをしています。

よかったらみてください。(なかなか再生回数がのびない、、)

https://youtu.be/G-zsazRRr9Q

ドイツでわたしのソロをやるには、どうしても歌詞が理解してもらえないということで、 英語に翻訳して書いてみました。

音楽に言葉は関係ないとよく聞くけれど、せっかく歌詞も考えてつくってるんだから、やっぱり、歌詞も何言ってるかわかったほうが 興味をもってくれるかなあとおもって、、

今後こっちでどのようにソロをやっていくかをもっとちゃんと、具体的にしていかないとな、と思います。
その第一歩が翻訳、、。

でも、わたしは英語が得意じゃないから、パトにドイツ語で説明して、英語にしてもらいました。

歌詞は、主語がなかったり、わざと主語をつけてなかったりすることが多いので、ドイツ語や英語にするのは難しいです。

こっちで歌うとき、プロジェクターかなんかで歌詞をうつすの、まえにやってみて、(ずいぶん前)お客さんに 歌詞がわかってとてもいい っていってもらえたのを思い出し、またやってみようかななんて思ってます。

そのためには翻訳作業がんばらんと。(まずドイツ語に自分で翻訳するのも大変だけど それよりもパトに頼むのもなんか悪い気がしてスキを見計らってたのんでおります。)


パトももちろん英語がパーフェクトじゃないからっていってて、ドイツ語のほうが詩としての表現を考えて訂正できるから(わたしの荒いドイツ語訳を) そっちのほうがいいんだけどなあっていってるけど、やっぱ、英語のほうが使える場所が広いから 英語で頼んでおります



シュニックシュナックの方は、日本語とドイツ語両方で歌っていて、日本語の歌詞ももちろんわかってほしいから、CDの中に歌詞カード書いて翻訳つけて入れています。


さあ、月末からパトが日本語を習いに行くらしいです。
わたしの苦しみがわかるときがきたようだな!

知り合ってから、5,6年?かな? ようやく自発的に日本語を学びたいと言い出した。
わたしてきには、別に学んでもらわなくてもいいんだけど(言葉がわからないほうがいいこともある)自ら望んで申し込んだようだから、思う存分学んでいただこう。

妙に上達したらしたでなんかくやしいな、こっちなんか8年かかってまだこのレベルだというのに。 もっかい学校いったほうがいいんかなあ、、〜 悩む〜

ドイツの網戸

春がきたぞ〜!
なんの綿毛かわからないけど大量の綿毛が押し寄せてくる季節になりました。
(しらべたら おそらく白樺かなんからしい)

うちはこう、カドッコになってるので、吹き溜まりで、綿毛が大量にたまります。
そして容赦なく家の中にはいってきて、ベッドの上にうっすらつもります。
寝ようと思ってベッドカバーを外すと舞い散る!
ふわふわしてるので、やっかい!


綿毛のせいかどうかはわからないけど 花粉症的な症状がでます。

そして、ああ春になったな、と思います。

もちろん満開の桜やその他草花なども感じますけど。

網戸っていうのがなくって、ちょくで入ってきます。

網戸的なものはロスマンやdmに売ってるので、夏場、蚊、はち、ハエなどはいってくるのを防ぎたいときはそれを買います。

なんか、網部分と、マジックテープの棘棘した方に接着テープがついたようなやつがロールされてるのが入っていて、マジックテープの棘棘を、(棘棘という書き方をきにいった)
窓の外の枠に貼っていきます。
そして 網を窓の大きさよりやや大きく切って
その棘棘につけていきます。(網の細かさが棘棘にささるしくみ)

簡易的な感じで隙間とかあきやすいので、気をつけないとそこから蚊やハエが侵入してきますけど、綿毛とかは防げます。

けどめんどくさいから 網戸つけません、、


つけたこともあるけど全部の窓やると考えるだけでめんどくさすぎて 綿毛くらいはいってきたらいいわい、ハエは追い出せばいいわい(ハエけっこう大きいのとかほんとにいやだけど)
蚊はさしてこないならいてもいいわい という ワイルドな考えになってきております。
でも一番やっかいなのは ハチ!
ハチだけは勘弁していただきたい。


ドイツのってかいたけど、わたしベルリンの生活しかしらないから 他の地方ではちゃんとした網戸があるのかもですけど。でもどっかいっても、まだみたことないかな。



2019年4月2日火曜日

生活するということ 7 わたしの場合

結婚するということは、家族が増えるということです。

パトの両親、兄弟もわたしの両親、兄弟になる。
幸い、パトの両親はまったく嫌な感じがなく、私にもとても良くしてくれます。

まだ結婚する前、パトの両親に会ったとき、この人達にそだてられたなら この人(パト)は大丈夫だと思いました。

クリスマス、イースター、誕生日。まいどまいどたくさんの親戚たちが集まる中に行き、それはそれは大変です。
家族、親戚たちはぜんぜん嫌じゃないんです。むしろ明るくって、やさしくて、好きなんです。
しかし、ドイツ語〜! こればっかりは。
話がわからない。
もちろん最初の頃よりはましになってるけど、それでも全然だめ。

このまえ20年こちらに住まわれてるかたにお会いしたけど、その方も、まだまだって言ってた。
20年でまだまだなんだから!たった8年なんかまだまだすぎる。

結婚した当時は6年目とか、そんで家族とかに会いだしたのは、4年目、5年目?くらい?
なのでまだまだ加減は、ますますまだまだなんだけど。

去年もクリスマス疲れて熱出ました。

でもこれも、生活。

そういう家族の付き合いを通してだいぶ、ドイツの生活というものの一部が覗けた気がします。



そんななか、犬を飼いたい欲がふくれあがり、パトを説得し、ティアハイムなどに犬を見に行くことに。結果ティアハイムではなく、ポーランドの犬の施設から犬を救出してるグループから譲り受けることになるのですが、ほんとに、犬を飼い始めてよかったです。
その犬がchipsyです。


そういう感じになってきて、
ワーホリの頃、シャンプー、リンス買うのにも戸惑っていたのとはだいぶ深くなったような。「気が」します。

でも、あくまで、わたしのばあいです。
わたしは日本食レストランという環境で仕事してますし、もっと、ハードな、ドイツ語文化の中に飛び込んで頑張ってる方なんか、とっくにいろいろ深み増してるかもしれませんし。


そして、ここ最近、仕事についてもかんがえるところがあって、
わたしはここでこうしてていいんだろうかと。
レストランの仕事はもう覚えてるから楽だし、環境もぬるま湯のようで居心地もいいし、
でもなんかちがう と思ってきてしまい、 仕事を徐々に減らしてもらっています。
頭の中が、仕事のことでいっぱいになってしまって (もちろん ストレスもありますので)
これはなんかちがう、と思ったのです。また、肉をたべなくなってから、肉を調理することも抵抗をかんじているのも確かです。

それで 週5、6日働いていたものを 週4,それから週3、 いまは週2です。
ミニジョブという、税金が発生しない給料内ではたらくというものに変えてもらいました。

おかげで頭はだいぶすっきりしてきて、 昔のように、いろいろ考えられるようになりました。

創作意欲もでてきました。

シュニックシュナックも、ソロも。

でも!やっぱり、日々、お金は要るので、、。チプも病院いったりエサ代でお金かかるし。

その間でいま格闘してます。

なにか新しい仕事をはじめようか。(肉をあつかわない仕事)
それとももっと音楽でやってくべきか。
でも定期的な収入というものが必要です。
パトとは口座を分けてるので、もちろん生活費などパトのほうが多めにはらってくれたりしますが(パトのほうが収入が多いため)、それでもかかるものはかかります。




また脱線しましたが、
いまこういう「生活」をおくっています。
パトが社交的な人なのもあり、近所付き合いもよく、
前にも書いたけど、近所のコミュニティの庭にも参加させてもらって、自分の庭をもらえたし、
近所付き合いをしてるとますます、生活感がでてきます。

こんどうちのまえの広場にちゃんと名前をつけようという話し合いがあるからそれに一緒に行こうとか(わたしはバイトがあるからいけないけどパトがいく)
こういうデモがあるとか、
あと、暖炉のことで大家さんに言ったけどお金がないから暖炉廃止できないっていわれたから、もう自腹でやる!という情報をきき、じゃあうちも一緒にやっちゃおうかなっていうことになったりとか(まだ大家さんに聞き中)
そういう話に巻き込まれるようになってきて、 ああ、わたし、ここで「生活」してるんだ、って思いました。

だからこのことをかきたかったがために 7かいにも分けてぐだぐだと誰も興味ないことをかきました。

もうすぐ9年目に突入。
長さはさほど問題じゃないと思うけど、ようやく、ああ生活してるなってじんわり思えるようになりました。

近所の人と道であって少し立ち話したり、留守中に猫の世話しにいったり。近所の人のお葬式にも出席した。
お葬式はなるべく出席する事態になってほしくないけど。

ドイツに来る前想像した、「生活」というものに近づいたなと思います。





生活するということ 6 わたしの場合

当時付き合っていた彼と別れ、そのたしか、何ヶ月かあと、リコリスのライブをしてて、それをみにきていたパト。
共通の友達もいて、何喋ったかおぼえてないけど、なんか喋って、楽しかった記憶がある。
そのあとパトが、ライブたのしかったみたいなメッセージを送ってきて、メッセージをやりとりする仲になり、一緒に音楽をしようということになって、(それがシュニックシュナック)何度か会って、つきあうことになった。
外国人と付き合ったことがなかったので戸惑いましたが、いまじゃ、外国人であるという意識はぜんぜんないです。

パトは日本語もまったく話せず、(コンニチワくらいは分かる状態)ドイツ語のみの会話。
パトの家族や地元の友達の中に入るのは最初は苦痛でいっぱいでした。
それまでは、バスチアンはドイツ人だけど、 ともだちはほとんど、日本、イタリア、フランス、などと、ドイツ人のドイツ語の中で埋もれて生活してたわけじゃないのです。

でもまあ、なんとかなるもんだ。

このあたりから、ぐっと、「生活」に近づいた気がする。

このあとの、ビザの切り替え(フリーランスビザ取得)に苦労するんだけど、パトが手伝ってくれて、パトにビザの大変さをわかってもらうことができた。
そして 私達の中に、結婚という考えもでてきた。

日本に一人で一時帰国してるとき、母のつきそいで救急車にのることがあって、その時、 結婚しようと思った。早く結婚して、母を安心させたいと思った。

それからパトの家に引っ越しし、今度は家賃200ユーロ。時代と反して引っ越すごとに下がっていく家賃。そして場所はクロイツベルク。こちらも人気の地区です。
ビザには苦労したけど、引っ越す家には苦労してなくて、 なんでも一個わるいことがあれば一個いいことがあるんだな、っていう感じです。

パトも前はWG(ルームシェア)だったけど数年前?くらいからもう新しい同居人を探すのも面倒だし募集をやめて一人で住んでいた家だったので、スッといれてもらえた。
しかし、なかなか一緒に住もうと言ってくれず、やきもきしました。(パト超慎重派)

そして翌年、2016年秋に結婚しました。
日本では このひとと結婚しますライブをし、(それが結婚パーティーのかわり)みんなにきてもらえて嬉しかった。
そのあと、ベルリンの役所でちいさな式。
式といっても、
なんか役所の一室で書類にサインするだけってきいてたので。
ふたりだけでやるようなもんだろと思ってた。

でも、日本から両親と妹がきてくれて、すごくうれしかった。
飛行機代結構するし、母が心臓(もうよくなったけど)の病気をしたので、飛行機は無理だろなと思ってたし、そもそも、結婚式と呼べるようなものではないとおもってたから、来てほしいと呼ぶことすら頭になかった。
父も知らぬ間にパスポートを取得してくれてたらしい。
人生で一番嬉しかったことかもしれない。家族がきてくれたこと。

パトの両親、妹、おばあちゃんもベルリンにきてくれた。

それから友人たち。

ちなみに、わたしは自分の住んでる地域、クロイツベルク・フリードリヒスハインの役所でやったけど、もっと綺麗な豪華なとこもあるらしい。わたしのとこは 簡素な建物の簡素な部屋でした。
あと、牧師さんとか神父さん呼びたかったら呼べるみたいです。わたしたちはべつにいいです、っていって呼ばなかった。 ぜんぜんそういう、特別な、なにか厳かなものとおもってなかった。役所の手続きのひとつのようなかんじがして。


なんかだれかわかんないけど 区長?それかその役場のだれか偉いっぽい人がなんか話をしてくれて、各々サインして終わりです。


父がないてるのをみて、こらえきれず泣いてしまった。
それで、ああ、わたし、結婚するんだとおもった。
ウエディングドレスも花嫁からの手紙もなにもない簡素な式だったけど。

その結婚式の前日に両親と妹とだけで 小さなまちに小旅行にでかけた、日帰りの。
そこで偶然の出会いで、教会で結婚式のバイプオルガンを弾いてもらえたこと。それもとても感動した。

いまおもったら、目に見えない力も、祝福してくれたのかもしれないな。ありがたいな。


結婚に対して昔から別に特に思い入れがなく、 りっぱな結婚式をしたいとかウエディングドレスを着たいなんてまったく想像すらしなかった。想像通りにウエディングドレスきてないけど。
でも一応、ワンピースきようとおもって、 通販で麻のワンピースを買った。
パトにじゃがいもの袋みたいだね と言われた ワンピースと、リアムがつくってくれた、花かんむりで結婚式をしました。 それで十分。
家族と友達がいてくれて、目に見えない力もお祝いしてくれて、それ以上必要なものなんかない。

そういえば、結婚決めたのも、親に、メールで ふたば、結婚するから こんど日本につれていくね みたいな感じで報告したな。
パトには、日本ではだいたい、 親に、この人と結婚していいですかっていうんだぜっていって、 日本につれていき、両親にあってもらって、パトは、父と英語で話していた。緊張してニヤニヤしてたけど。わたしもなんか緊張した。
あとから父がパトに、双葉が自分で結婚相手みつけて このひとと結婚するからって勝手に決めてからいったことが嬉しかったっていってたらしい。おとなになったんだな、と思ったと。

そういえば結婚を反対されるなんてことは頭の片隅にすらなかったきがする。
相手がドイツ人でも。 それは幸せなことだな。
信頼関係が、多分ちゃんとあるんだ。

だいぶ脱線しましたが、そんなこんなで結婚。
ビザも無事、通称結婚ビザ・配偶者ビザにきりかわり、ビザの心配はなくなりました。
これはかなり大きい。
海外で生活する人にとって、ビザはいつも大きな問題です。
(就職して仕事のビザだしてもらってるひとは別でしょうが)

やっと、足元がかたまったという感じ。

といっても、これはあくまでわたしの場合なので、人によって様々です。

この時点で、ベルリンにきて、5年。(わたしのとっての)本当の生活はこれからっていう感じです。









生活するということ 5 わたしの場合

さてベルリンにもどってきて、まずすることは、 ビザをとること。

当時は通称 学生準備ビザというのが比較的簡単に取れたので、だいたいのひとは、
ワーホリがおわったら、学生準備ビザというのに切り替えそれで2年居られた。

学生準備ビザというのは、大学にいきたいから、そのために語学を勉強しますのでドイツに滞在したいですというビザ。
比較的簡単といったけど、それでも、保険に入ったり、銀行口座を開設したり、友達に手伝ってもらいながら、書類をつくって、予約をとって、 スージーという日本語が話せる子についてきてもらって 2年ビザを取得した。

家はバスチアンと二人暮らし。こんどはノイケルンという、いま若者に人気の地区で、前のゆったりしたツェーレンドルフとはぜんぜんちがう地域。
でもここからならどこでもだいたい自転車でいけちゃう。

家賃は220ユーロ。友達も比較的近くの地域に住んでいるし、ライブをする場所もココらへんにはたくさんある。

共同で借りてる練習スタジオの仲間にもいれてもらって、ますます、住んでる感は強まっていっております。

買い物も1年目よりは比較的スムーズ。何が何だかはだいぶわかってきた。

そして、やはり語学が自信ないのでまた少し通ったりした。

結局 B-1くらいまでやったのかな。(A-1.A-2.B-1.B-2.C-1.C-2とどんどん上級になっていく)
でも語学学校はお金払って、出席しとけば勝手に上級になっていくので。
ホントの実力をしりたかったら、公式テストみたいのを受けないとです。
わたしはお金がないのでもう語学学校はやめちゃった。

なぜなら、学生準備ビザは最初の(カレンダーの)1年は働いちゃだめなのです。
わたしは、1月に取得してしまったため、まるまる1年はたらけなかったです。
しかし、学生の休みの日、祝日や夏休みなどは働いても良いらしいので、
いつもの日本食屋さんではたらかせてもらっていました。


3年目からはまた日本食屋さんで働きながら、 音楽やったり、旅行に行ったり。
このあたりからあんまりはっきりとした記憶がありません。

同じような毎日だったのかな。

でもそれは また、そこに暮らしている ということでもあるのかもしれません。

だんだん、道も覚えてきたり、どんどん強くなった気がする。

ほんとに、なにしてたんだろ、って今思い返そうとするけど、思い出せない。
多分ブルガリアに行きだしたりしてたかな。
ブルガリアの旅行中に、まこさんと、punktum(過去4回やった 日本のアートアニメを上映する会)を始めようって企画したりしたな。

生活しようって決めてきたのに、あいかわらず、生活のためのバイトにあけくれる日々だったような。
バンドをやったり、ソロもちょこっとやってみたり。
曲をかくために いい景色のなかで過ごしたいっておもってたのに、
曲をかく余裕みたいのはまだ、ちゃんとうまれてなかったのかな。
他のことで一杯だったような。

バンド用の曲はつくっていたけど。

スザンナとリコリスっていうバンドやって、スザンナがイタリアに帰ることになって、リコリスは一回休憩にして、
その後、リアムとツヴァイウントツヴァンツィヒツヴィリンゲというバンドを組んで。
それはでもあんまり活動しなかったな、
練習は時々してたけど。

リアムは他にもバンドを何個もやってたから忙しいのと、よく旅にいくのと、私がバイトが忙しいのと。

そんなこんなで、 そうだ、 リコリスだ、
リコリスのライブを パトが見に来てたんだ。
そこで、夫となる パトと出会います。





生活するということ4 わたしの場合

さて、1年で日本に帰るといったものの、もう、心は決まっていた。
まだここにいたい。
たった1年じゃ何もわからない、とおもった。

ただ、1年住んだだけ。 生活 というのとはなんだか、違うと思った。

でも、日本には仕事もある。
そして、なにより、ビザ。
ビザのために貯金がいる。
一度帰って、仕切り直してこようと思った。

家は1年の約束だったので、ハイデのうちは出ることにして、バスチアンの家が一部屋あくというんで、そっちに12月には帰ってくると約束して、荷物も地下に少し置かせてもらって、
日本に帰った。

よく、一度日本に帰っちゃったらなっかなかもどってこれないよ、っていう話がある。
なにしろ日本で生活しはじめたら 慣れちゃって めんどくさくなる。語学の心配も、ビザの心配もない。
でもわたしは、荷物をおいてきた。 家の約束もしてきた。
帰らなくちゃいけない理由をちゃんと残してきた。

そして、仕事関係も、ご厚意に甘えて、承諾いただき、(いつもほんとに心から優しくしていただけています)
写真の仕事も職場復帰させてもらい、あとはカフェの仕事と、後半それでもお金が貯まらないので、夜に近所のパチンコ屋さんで3ヶ月でやめますというお話をしたけど、それでも雇ってもらえたので3つ仕事をかけもちして、お金を貯めた。パチンコ屋さん自体、入ることすら生まれて初めての状態で、あきらかに見た目がほかの働いてるひとたちと違うのに、やさしく教えてもらえて、ありがたかった。休憩室のタバコ臭さには参ったけど。

いま、ふりかえってみても、 みんなやさしい。関わる人、みんなやさしい。
本当にありがたいです。


さて、2012年の12月はじめ、約5ヶ月後、ベルリンに再びかえります。

空港に見送りに来てくれた、母が いってきます、のとき、みみもとで、おかあさんの夢だから っていってくれたことが すごくじーんときた。
母も海外で暮らしてみたかったんだ。

しっかりしなくちゃと思った。





生活するということ 3 わたしの場合

貯金もほとんどなかったので、とにかくバイトを探さないととおもって、
語学にまったく自身がなかったので、日本食レストランをさがした。
あっとベルリンというサイトで募集していたので、応募して面接を受けた。

そこでいまもまだ働いてます。
いまじゃ ベテランみたいになってしまった。

そこのレストランで仲の良い友達もできた。
そこでやっぱり 世界はぐっと広がった。

いままで、手探りで自分ひとりでやってたけど、 同じ日本から来てベルリンに住んでいる、いわば先輩たちがいろいろ教えてくれた。

いろんなつながりで、バンドを始めたりもした。
だんだん、生活してるな、と思えるようになってきた。

一人でこれまた興味なかったパリに行こうと思って 旅行したり、
まだ、さほどなかよくなかった まこさんとニュルンベルクのクリスマスマーケットに泊りがけでいったりもした。(そこで仲良くなった)
まこさんはわたしより、たしか3年くらい前からベルリンに住んでる。
その前はカナダに居て、わたしがカナダにライブしにいったとき、ニアミスで会いそうだったということが、その旅行で判明した。世界はせまいな。

ゆっくりだけど音楽活動もして、友達のうちに泊まったり、バーにいってみたり、夜中にチキンを食べに行ったり、公園でただすわってたり、フリマにいったり。
ベルリンをベルリンらしく、楽しんでいたとおもう。
クラブにはいってなかったけども。

ワーキングホリデーは やっぱりとっても楽。
1年という期限がついていること。
働いてもいいということ。
あと、なにもかも新鮮。
また、これは旅行じゃなくて住んでいるんだという空気も感じられる。
そういう経験ができる。

よる、家に帰るとき、暗い家々の屋根の上に 月がでていて、その景色をみて、
ああ、わたしはいま、ここにいるんだ、きてよかった、と思ったことをはっきり覚えてる。


といっても、だんだん 家に帰るのがおっくうで(遠い)まちなかの友達の家に入り浸るようになったんだけど。


そんなこんなであっというまに一年がすぎた。


生活するということ 2 わたしの場合

私は、日本で夏に ゲーテ・インスティトゥートというところで 基本の基本くらいのドイツ語のコースにちょっとだけ行っていた。
ので、 ドイツでもやはり語学を最初に学ばないとと思って、ゲーテのドイツ校にいくことにした。
それのスケジュールで行けるところがベルリン校のみだったので、行き先は一番興味のなかったベルリンに決定。

なぜ、ベルリンに興味がなかったかというと、首都=都会 と思っていたから。
わたしは大阪にいて、しかも きれいな景色のなかで暮らしたいと思ったのが 理由なので、
自然の多いところにいきたかった。
ベルリンには一度も行ったことがなかったし、今思うと写真とかもさほど見たこともない状態で行ったので、ただ、頭の中で 都会だろう と思っていた。

今 わたしが思うベルリンは 緑がいっぱいあって 街も大きすぎず小さすぎず、ちょうどいい。これをベルリン以外に住んでるドイツの人に言うと、驚かれる。
ドイツの人にとっては ベルリン=騒々しい都会 という印象みたい。
大阪や東京からすれば 俄然静かなかんじがするけど、、

家の探し方などもぜんぜんわかってなかったので、とりあえず
日本にいるときに WGgesucht というフラットメイト募集の定番のサイトがあるんだけど、それをみて、一人の人にメールを書いた。

そこが ハイデのうち。 なぜそこにしたのか、どうやってメールを書いたのか殆ど覚えてないけど、家賃250ユーロ、一軒家で庭もついて おばさま二人との同居。
場所はツェーレンドルフという ベルリンの中心からはすこしはなれた、大きい家がたちならぶ地域。 大きな湖が傍にあって、ときどきひとりで散歩にでかけたりした。

ハイデは会うこともしないのに、メールでokしてくれた。
昔はどうかしらないけど、普通、メールして、返事が来たら、会いに行って、話をして、それで一緒に住めるかどうか決まるみたいです。
日本から決めていくというのは、まれです。

ベルリンについて、たしか、次の日にハイデに会いに行って やさしそうなひとで安心したのを覚えてる。
家は大きく、 地域もなんだか魔女の宅急便にでてきそうな素敵なとこで、緑もいっぱい。(5月にいったのがまた、良かったんだろうな)
こんなところに住めるの?!とすっごくうれしかった。

また、ゲーテのホームステイシステムもあったので、最初の1ヶ月は、エレナとライナーの夫婦の家に住まわせてもらった。
そこでもたくさんいい経験をした。ライナーはドイツ人でコックさんなのでいつもおいしいごはんをつくってくれた。
エレナ(ウクライナ人)と食後に散歩に行ったり、たくさん話をしたり、あと、エレナの行くロシア系の教会も連れて行ってもらった。
彼らの家族とクリスマスを過ごしたりもした。 引っ越ししてからも何度か家族のあつまりによんでもらって、いっしょに過ごした。

ゲーテがおわってから、ハイデのうちに引っ越しをして、そのときはまだスーツケース1つぶんのにもつ。
最初わたしの部屋は2階だったんだけど、一番上にすんでた学生さんが引っ越したのでわたしはそっちにうつった。
三角屋根の一番上。狭い部屋だけど、すきだったな。

また、ベルリンについて数日の間にU夫婦と会った。日本での共通の友人が居て、その人がしょうかいしてくれたU夫婦。いまでもずっとよく会っていて、ほんとうにいい出会いだった。

最初のゲーテにどれくらい通ったのかまったく覚えてないんだけど、その後、違う語学学校にいった。なにしろ ゲーテは他と比べて だいぶ、値段が高いことがベルリンにきてわかった。 でも授業の質はとっても良いとおもう。通ってる人たちも同年代で仲良くなれてうれしかった。

とりあえず、3ヶ月ほど語学学校にかよって、基本のキホンくらいはなんとかわかるかな、、ていう程度にはなった。
それから、バイトをさがした。






生活するということ 1 わたしの場合

わたしが最初ドイツにきた理由は、「生活したい」という理由だった。

日本でも 音楽活動などもやって、CDも作らせてもらったり、仲の良いともだちもたくさんいて、家族と住んで、充実していたんだけど、
もちろん殆どの日は仕事場と家の往復。

景色が灰色だった。

それは比喩じゃなくって、こんな灰色の景色見てて、わたしは歌なんか作れないと思った。


それまでも作ってたじゃないかとおもうけど、でも本当にそう思った。

ニッポンコネクションという、ドイツのフランクフルトでの日本映画祭でライブをするという招待をいただいて、初めてドイツに来た。 
わたしは なぜか、昔から、ドイツとパリだけは行くことがないだろうと思ってたんだけど、
招待ということでタダで行けるしっていうんで行くことにした。

そういえば、その何年か前に、初めての海外旅行を母とふたりだけで オーストリアにいったときに、ドイツで乗り換えだったんだけど、 わたしはここに帰ってこなくちゃいけないって思ったことを思い出した。

フランクフルトのついでに、他の町も旅行して、 あれ、なんか、すごくいい、と思って、
半年後、こんどは妹と旅行に来た。

それで 次行くときは住もうと思ってた。

そんななか、 こんな景色はみてたらだめだ っていう気持ちになって、 じゃあドイツに行こうって思った。

一人暮らしをしたこともなかったし、家に帰ったら母のつくったご飯が食べられて、お風呂にも入れて、それは今思うと最高な暮らしだけど。
ちゃんと、自分の生活がしたかった。

当時すでに、RSKの アレすけくんというキャラクターの声を担当していたので、そちらにも迷惑をかけてしまうということで、いろいろ対策をして、1年だけというお話をした。
話をするときすごくドキドキしたのを覚えてる。
いつも良くしてくださるみなさんにご迷惑をおかけしてしまうということと、
でもきっとみんな理解してくださるという確信もどこかあったんだけど、、。

それでワーキングホリデーでドイツに来た。
ベルリンが、これまた一番興味なかったけど、語学学校の予定と、jojoさん(非常階段の)に占いをしてもらった結果も、その時期がいいということで ベルリンにした。
jojoさんには大きく背中を押してもらった。

準備は前からしてたんだけどちょうどその年の3月東北の震災があって、気持ちも大きく揺れた。それでも、もう決めてたので

5月後半、ちょうど気候もいい時期に ベルリンでの生活が始まった。







2019年3月6日水曜日

花をかざる理由

この写真は過去ので特に関係ないです



ここ数年で気づいたこと

花を部屋に飾るのは風水とかでも良さそうなんだけど、自分なりになんで良いのか、ちょっとだけわかったことがある。

例えば玄関やキッチンや、洗面所なんかに花を飾っておくと、ほぼ毎日何度か見ます。
そのたびに、
「きれいだな」と思うのです。
きれいだな と言葉にしておもわないとしても、そういった感情をまいどまいど感じます。

そこが、多分大事なところ。

だから、花じゃなくても、きれいな石や、毎回 慣れずに きれいだなとか プラスの感情を一瞬でも感じる何かを目のつくとこにおいておくといいんだろうな、と思います。

でも花が毎日変化があって楽しめる。切り花だからずっとてわけにはいかないから、
萎れたら、ありがとうといって お別れします。


毎日何回も きれいだな って思うってことは きっと脳に良いんじゃないかなあと思います。

だから、良いんだな、花を飾るっていうこと。

逆に、見るたびに、 ああこれ片付けなきゃ、とか なんか好きじゃないなっていうものが部屋にあるっていうことは マイナスの思いを貯めているようで、よくないんだろうな。

そう思って、なるべく片付けられるものは片付け、気にいるものだけを置く というようにしていきたいと思っております。
(なかなか片付けなど いつもきれいにはできてないけど)

そうしたら、ものを大事にするし、長持ちさせられると思う。



家族どうしだと趣味もバラバラちがったりするから 全部とはいかないけど、自分の範囲はそうしてくのがいいんだろうなあ。
とかいって 家中植物や 石なんかおいてますけど、パトは特になにもいわないので たすかった〜
パトの作業部屋になってる音楽部屋(楽器がおいてあったり そこで練習したりする)は パトの趣味にまかせております。

わたしは わたしの個人部屋がないから、寝室の一角をわたしのものとし 机やらなんやらおいてあります。なので寝室全体わたしのものといっても過言ではありません。 そしてこのうちで一番明るくて大きいのは寝室。
寝室っていうか寝るだけじゃないですがこの部屋は。チプもいつもここにいる。

のでできるだけ気持ちの良い部屋を心がけております。


それと関連して、 〇〇しなくちゃ とか そういう事柄も、 頭の中を少しでも支配してるとしたら、それをなくしたほうが他のことにその頭の中の部分をつかえるわと思い、
そういうこともなくしていこうということを思いました。

あと、感じなくていいストレス
これもなるべくどうやったらそれを感じなくて済むかという事を考えています。

それはまだ答えがでてない、、。

2019年2月5日火曜日

ファッションのこと

ふと、自分に似合う服ってどんなだろうと思いました。

基本的に昔から柄物とか色がたくさん使ってるようなものを好んできていました。
一時期、ボーダーとか、素材重視とか、シンプルなものとかを着たりしていましたけど、 心の底では
なにか物足りなさが有りました。

そしていま.. 

 迷子です。 もともと、あまり流行りとかに乗るのが恥ずかしい質で、
どういう格好したらいいのかわからなくなりつつあります。

わたしの心の底が かわいい、、、 と思うものは だいたい動物ものです。

しかも結構ファンシーな、、

思えば小さいときからそういうファンシーなアップリケとかが好きだった、、。
母がつけてくれたカニのアップリケのランニングが好きで 
母は多分下着のつもりでつくってくれたんだけど ソレばかり着たがるから みっともないからやめてくれと言うようなことをいわれたことを覚えております。

あと ゾウのセーターも気に入っていたなあ、、
靴もうさぎが書いてあった白い靴が好きだったな、、でも同時に 子供の頃、なぜか革靴じゃないと嫌だという時期があったな、、学校に行くのも、公園に遊びに行くのも革靴、、 
あれで走る音がすきだったな、。



なんか キャラクターもの というよりも、なんかすこし 哀愁のあるファンシーなものが好きな気がします。
こちらの1ユーロショップにアップリケが売ってるんだけど、それがモロ好みで、 なんでここにこんな色を、、 とか ここ 一体どうなってるの?ていう関節の曲がり方だったり、そういうものに惹かれます。

そしてそういうのは買ったりして、時々着てるんだけど そろそろ本当に年齢(今年38)に見合った服を着たほうが良いのでは、 という思いもあります。
これは 赤い丈の長いカーディガンで、こういう謎の形のくま、犬のようなものが6つくらいついています。

これをみつけたときは衝撃でした。
1ユーロくらいでフリマか古着屋で買いました。

こういうフルーツとか配色も惹かれる
全部古着屋さんで買いました。

これは無地のTシャツに1ユーロショップで買ったアップリケをつけたものです。



ありがたいことに、ベルリンはそんなに服装に関して なんとなく、本人が好きなものをきているのが一番いい的な、そんな空気があるように思います。日本みたいに、 これをこういうふうに着ないと!みたいなかんじがない。一応流行りはあるけども。

でも、TPOていうものも大事ですもんね。と言っても別に、オフィシャルな場面にはなかなか出くわさないし。といいつつ、例えばパトの両親とでかけたり、親戚の集まりなんかにいったりとか、大事なパーティーだとか そういうときにはちゃんとした格好もしたいのです。

1足もハイヒールももっておりません。
(そのうえ 扁平足です)

最近感じているのは 着心地です。
こいういうファンシーな動物ものは、たいてい安っぽい人工的な素材で出来てる服が殆どです。
なので静電気やら、環境のことを考えると それは好きじゃない、、。

まあまあ近くに、エコファッションの店があって、何回か行ったんですが、素材とかは好みなんだけど(リサイクルものや、ビオもの、動物の革をつかってないものなどがそろっている)
デザインが、あまり好みじゃなくて、そちら方面にも行けず、、

ここまで書いてきて、なぜ迷子なのかがわかってきました。
ファンシー動物ものが好きな半面、素材にもこだわりたいという思いがあるからなのです。
そして、年齢も後押しし、もちょっとマシな格好を、、という気持ちがあるからなのです。
でも、そのマシな格好の着地ポイントがわからない。

いまの季節ファンシーモノ以外で気に入ってるのは、アイルランドの島で買ったセーターです。
ポケットも付いてるし、きごこちもよい。 

上着は去年だか一昨年だかに買ったフェールラーベンのフード付きのアウトドア的なやつ。
見た目がどうこうじゃなくて暖かいからです。
あとは、多分、5,6年前かもっと前くらいに買った どでかいジーンズ生地の重いコートです。 裏地が どピンクでファンシー動物がちりばめられているという 買わずにはいられない一品でした。 ただ、そのコートは重く、そしてそんなに暖かくない。
機能性で言えば フェールラーベンのがいいので そればかり着ています。

きにいってるふゆのズボンはありません。

夏は日本でかったモンペを気に入ってはいています。

着るものは 機能性ももちろん大事だけど(とくに冬は)気持ちを変えたりもしてくれるし、ちゃんと、好きなものを着たいんだけど、 ほんと迷子で、
だから、最近は ほしい服もぜんぜんなくて、買い物にいく気にもなりません。
このまえ ユニクロに行き、下着と、あたたかいズボン(犬の散歩用)を買いましたが、、。
見た目は全然気に入ってないです。あたたかさは気に入ってますが。


おしゃれな服が好きだったらいいのになあ。

着心地がよく、環境にも配慮しつつ、さらに、オフィシャルな場面でも恥ずかしくない、ファンシー動物がついたかわいい色の服(もちろん気軽にかえる価格)、ないかなあ。





鉄のフライパンのこと

バイト先の通りの前にあったレストランが閉店するのでいらないものを安くで売っていて、
小さめの鉄のフライパンを2ユーロ(感覚的には200円って感じ)で買ったのが、2,3年前。
これです。



22cmくらいのやつで 浅いので目玉焼きとかにはいいんだけど 野菜とか炒めたりには向いてないです。

炒めたり、っていうのには、イケアでかったテフロンのやつをつかってたんだけど、テフロンがボロくなってきてどうにもあまりいい具合じゃなかったので、
新しいフライパンを買おうと調べ上げました。

長く使いたいと思うわたしには やはり、鉄がベストだと思い、鉄フライパンを買おうと決意。
日本だとわからないけどこちらだと種類にもよるけどだいたい50ユーロ前後で変えます。
感覚的には5000円前後っていう感じ。
鉄といってもいろんな種類があることがわかり、アマゾンとかで見た感じだと、大きさ、値段深さともに ドイツの helmensdorfer ていうメーカーのやつか、riessていうオーストリアのチロルっていうタイプの深めのフライパンがいいな〜と思ったんだけど、

とりあえず おすすめ鉄フライパンをブログに書いてるのとかをドイツ語でも検索したら フランスのde buyer ていうのを一位にしてる人が多くて、それについでドイツの有名なturk。
さっと調べたところ、だれもhelmensdorferに触れていない、、 riessはエナメル(ホーロー)が有名なところだし、(それでも鉄フライパンも出してる)ふーーむ、、と毎日のように鉄フライパンのことを考え、パトに相談し(あまりくいついてこない、、)友達にもきき、、 

そして わたしが2ユーロで買ったこのフライパンは最初、turkのかとおもったんだけどよく見たら取っ手の先端部がクルンってなってて、それはhelmensdorferのだとわかりました。





ちなみに、家のコンロはこういうタイプで、こちらではかなり一般的なやつです。 古い。
そしてボロい。サビサビ、、 がんばってそうじしてこれです。
ガスの家もあるけど、こういうタイプ結構多いです。あと、新しくしたところだと ガラスのフラットのタイプのIHみたいなやつもあるけど。でもほとんどこれかガス。
ほんとはガスがいいんだけど、、
これ 0〜6まで目盛りがあって火加減の調節するんだけど 僅かな火加減とかまず無理です、、 いっかい6にしちゃうと なかなか冷めない。 そして暖かくなるまで結構時間かかる。
これもあたらしくしたいねと話してるんだけど、まあ、まだつかえるから、、というのもあって 使っております。

話それましたけど、 しらべてくうちにこのコンロの熱くなる部分の大きさとフライパンの底のサイズができるかぎり同じくらいでなくてはいけないみたいで、 大きい丸のほうでうちは 18〜9センチくらいです。 てことで そういうのでもみていくと、 24cmもしくは26cmのライパンがいいようです。(フライパンの底と上の部分だと 底のほうがたいてい小さくなっております。サイズは上の方の直径です)

そんで、26cmのde buyerにしようかなあ〜とおもってたんだけど、友達が、manufactum ていうとこに鉄フライパンとかいろいろおもしろいものがおいてあっていいよって教えてくれたんで一緒に行ってきました。
なんかいろいろこだわりのモノをセレクトしておいてるようなお店で、こういうお店、久しぶりに入るな、、という感じでした。おもしろかったです。日本のときは、こういうお店、ときどきあったし、気軽にみてたな、、と、、。
そして あったあった フライパン。

上に書いた4つのメーカーのフライパンがありました。
turkはやはり全体に浅め。そしてriessは エナメルものしかおいてなかったです。 青とかでかわいくて、ちょっと心ゆれました。 そして de buyerは24cmのものしかおいてなくて、 ちょっとそれのデザインがあまり私の好みじゃなくて、なんかちがうな、と感じ、
その横にあった helmensdorferが 26cmでしかも結構深め。デザインもシンプルすぎるほどのシンプルで、ああ、これかなあ!と思い ソレを買いました。
49ユーロでした。(4900円の感覚)
(もうフライパン買うぞ!というモードが頂点に達していたので 帰ってネットでもっとやすいのを探すという気持ちにはなれず)

こちらです。 6cmくらいの深さ。よくみたら シールに、エクストラストロング的なことがかいてありました。 つよいのかな。
使う前に、多めの油でジャガイモと塩をしっかりと焼けという紙がはいっていて、事前にいろいろしらべてたとおり、油をなじませる工程をしっかりふみました。
日本語でしらべたら 野菜くずを炒めるみたいにでてくるのに、 ドイツ語だと だいたい スライスしたジャガイモっていってくる。 お国柄でしょうか。 それかジャガイモにはなんか いい成分があるんでしょうか。
ジャガイモなかったから 人参でやりました。 ふるくなった人参があったので。

さてさて その後数日使っておりますが、よい感じです。
くっつかないし、(多少くっついてもガシガシやりゃいいし、最終的には取れる)焼き具合もいい。深いので野菜も炒め放題です。 
いまはまだ銀色だけど 使ううちに黒くなってくみたいだし、 満足しています。
でもまあ、重いです。 片手で振ったりとかは わたしには無理です。
でもこの電熱のコンロで そもそもいままでも振ってなかったし 全然オッケーです。

以上 鉄のフライパンについてでした。


2019年1月22日火曜日

定期的に来るドイツ語への波と庭のこと

ベルリンに住み始めて8年目、
家での日常会話はドイツ語のみ(パトが日本語を話せないため)
バイトは日本食なので日本人と働いてるので日本語ですが

それでもドイツ語が伸びない、、

先日近所の人(アンドレア)といっしょに 庭の今年の会議にいってきた。
うちの近くの、ベタニエンってとこの一角をベルリンから許可を得て 庭として 近所の有志できれいにするというものに参加するために。

アンドレアは 子どもたちの庭 区域のリーダー的な感じで去年誘ってくれたのです。
ここにも少し書いたけど。

小さな畑

いままでは 子供の庭区域の一角を使わせてもらったけど、今回の会議に参加して申請したら 自分の区画をもらえるとのことだったので。

その会議も やはり 正直わたしにはむずかしい!!
なんとなく言ってることは 理解できるんだけど、わからない言葉がでてきて なんだっけ っておもってるうちに次にいったりして どんどん置いていかれる、、

会議自体、別にわたしがどうこう言うようなところはないから 発言する必要はないんだけど。

肥料置き場のコンポストについて だとか、 そだててた野菜が盗まれただとか、 物置を勝手に知らない人が使ってるようだから 鍵を変えようだとか そういうようなことです。 ガーデンまつりを いついつにしましょうとかそういう内容でした。

そこでアンドレアが 今はもう世話をしてないような部分があるから、そこの区を整理して 新しく欲しい人に分けようといってくれて その担当をアンドレアがやってくれることになったので、わたしは気軽に わたしも1区画ほしいと言えます。


アンドレアも早口なので なかなか理解が厳しいですが 隣人としてよく話をするしむこうもわたしのことを理解しようとしてくれるので たすかります。


そうです、8年とか ぐだぐだ居るだけじゃあ、ぜんぜんだめなんです!
日本語の話せない夫と結婚したとしても!

わたしの努力が足りないせいです。

ちゃんと喋れる人は1年目からしっかり勉強して正しい文法をつかおうと努力してるので 話せるのです。もちろん語彙とか、聞き取りや言い回しは そりゃあ長くドイツ人たちの中にいるから きっと1年目のひとよりはできるでしょう。
でも、基本の積み重ねをすっぽかして 勢いで話してるような感じなので それより伸びないのです。

おちついて 紙に書けば文法はわかるんですが、話してたら 口が勝手に動いて、順番ぐちゃぐちゃの、相手が私に慣れてないと理解してもらえないような話し方になってるのでしょう。

紙にかけば といったけど 綴なんかも怪しいもんです。
完全にみみで おぼえてるから 実際に書くとわからなくなること多数。

あと、自分の書いた歌詞をドイツ語に翻訳してパトに説明するときの難しさ。
(それは普通でも難しいことだと思いますが、日本語の歌詞を日本語で説明するのもむずかしい)


こういう ああ ほんとぜんぜんだめだな ドイツ語 っていう波が定期的にやってきます。


きっと同じような気持ちの人もたくさんいると思います。
だんだんめんどくさくなって 勉強もしなくなって、 やらなきゃなあと思いながら 
一応日常ではとくに困らないからそのままにしてしまうのです。

でも 私には目標があります。
それは 車の免許をとること です。
お金もかかるし いつになるかわからないけど、
まず 自動車学校に行っても そこでちゃんと理解できてないと試験さえ受けられないはずです、、 まさにお金の無駄になることでしょう、、
知らない単語もいっぱいでてくるだろうし、、。


日本以外の国に住むというのは きっとどこであろうと常に「ちゃんと」現地語を使えるようになることへの努力がつきまとうと思います。

何年住んでたって一緒です。
自然と身につくなんてことは 無いと思います。
ぜったいに努力しないと「ちゃんと」は 話せない。
逆に、日本にいても 努力すれば母国語以外の言葉を話せるようになると思います。

現地にいるほうが常に触れているからすこしは マシっていう程度じゃなかろうか。

それか わたしが無能なだけだろうか。

でも、ほとんどの日本人の友達は 長くいれば居るひとほど、自分はまだまだ全然話せないって言ってます。 そういう理解できてないなあ、っていう場面に出くわす機会があるからでしょうね、、

もともと 日本で英語が達者だったとかそういう人たちはほとんど英語で乗り切っているようです。 

わたしはもともと英語だって得意じゃないから ドイツ語でやっていくしかないのです。


はあああ、がんばろ、、

ちなみにパトが日本語を習おうとし始めているようです。
日本でわたしの家族と話すときとか(わたしの両親は英語やドイツ語をつかおうと努力してくれています。)もだし、毎年のように日本に行く機会もあるから やはり少しは話せたほうが良いと思ったようです。
いままでまったくそんな素振りみせなかったのに、多分今年の秋 パトの両親も一緒に日本に旅行に行く予定があるんだけど そこでいいかっこをみせたいんじゃなかろうかと ひっそりと予想。
パトと日常会話で日本語で話せるようになる日はくるのであろうか、、
がんばれ、、日本語けっこうむずかしいよ、、と思いながらも応援しようと思います。 

すくなくとも、この私のドイツ語に対する気持を理解してくれるだろうなと思います。






2019年1月19日土曜日

おちぷ動物病院へ

3日前くらいから おちぷが下痢をして 
時々旅行の後など興奮しすぎたら下痢になったりしてたので 
様子見だったんだけど さすがに2日たっても 3日目になっても治らないから
動物病院につれていってみました。

なんだかいまこういう症状の犬が多いらしく、それに感染したのかなっていうかんじでした。
でも他の犬は 嘔吐もあるらしく チプは吐いてないですが。

やはりバーーっと喋られて聞き取るのが大変で、
わたしは途中でまあ パトが訊いてるしいいか と気を抜いてなんもわかんなかったです。
あとから パトにかいつまんで私にわかるように説明してもらいなんとか理解しました。

(前に一人でいったときは一生懸命聞き取ろうと頑張ったんだけど、ドイツ人がいっしょにいると、とたんにズルをしてしまいます)

注射2本とクスリを4日分だしてもらって、 血がまじってたり、4日たってもなおらなかったら 検査するから便をもってくるようにと 容器ももらいました。

今朝は朝ごはんをあげなかったので、 やわらかくにたお米に人参もやわらかくしていっしょに煮たやつをあげるといい といわれたのでそれを後で作ります。
ちぷはお米(ときどき 米びつについたご飯をあげる)が大好きなのでよろこぶであろう。
チキンもいっしょに煮てあげるといいとのことで(味の面で) チプはコメだけでも喜ぶけどチキンも買いに行きました。

チプは動物病院に自らすすんではいりたがるし、(ドアというドアに入るのがすきだからかもだけど) 待合室では他に猫とかがいても おとなしくしていて (まちで猫をみかけると 狂ったようにそちらへ行きたがるのに) そりゃあ、注射はいやがってたけど それ以外は手のかからない犬です。

トイレも、家の中ではしないし、でもだからこそ下痢のときは何度も外へつれてかないといけないんだけど、 (おちつかず ウロウロしたり 寝てるときは起こしに来たりする)
しつけてないのに、そういう性格のようです。

でも 買い物からかえったら  がまんできなかったのか、 音楽部屋にブツがあり パトがうわああくさい!!といいながら掃除してましたけど、、

最近ベルリンはマイナスの気温で 夜中も起こされてトイレにつれていかなくてはいけないし
なによりおちぷがつらかろうから、 早く良くなってほしいです。


ベルリンは 犬の糞を拾わないひともいるし、リードをつけないで歩くのも一般的なので飼い主がみてないときにトイレをして 飼い主も気づかずいってしまい、ていうパターンもおおいし、
公園や道は汚いです。
最近は取る人もふえてきてるんだけど それでも汚くて
そんなん すぐに犬同士 感染してしまうだろうな、って感じです。
犬同士あったら もちろんおしりの匂いをかぎあって 挨拶もするし。


それが田舎の方にいくと、 犬同士をすれ違わないようにさえしてる感があります。
ちょっとふしぎ。 他の犬に慣れてないのかな。 


ベルリンは犬だらけだから他の犬に慣れてないと散歩し辛いと思います。




2019年1月3日木曜日

大晦日の花火から逃げ旅行

何度も日記に書いたことがありますが、ドイツの(他のヨーロッパの都市もやるとこはやる)
大晦日は 花火爆竹でものすごいことになります。

その期間だけ花火をしていい許可があるとかで、公園とかでやりゃいいのに、街なかでやります。
悪魔祓いだとかそういう意味もあるみたいなんだけど おそらくそんなこと考えてやってる人なんかごく少数でしょう。バンバンいわしたいだけですきっと。
音がほんと ものすごく大きくて、わたしのしっている爆竹の あのパンパンっていう音じゃなくて、大きいやつだと、雷がオチたのかっていう どぉーーん!!っていう音です。しかも建物の前でやるもんだから反響してものすごいです。

花火はどちらかというと東の方から入ってくるみたいで、このあたりは トルコの人たちが結構住んでる地域で、主に、彼らが率先してやってるように見受けられます。ポーランドやチェコにはドイツに持ち込めないようなもっと強力な爆竹やら花火があるとの噂。

年越しの瞬間が一番すごくて、 ロケット花火もそこらじゅうを飛び交い、もう外は煙で真っ白になります。
それから前後して 何日も前くらいからやんちゃな奴らがバンバンやっていて 
以前犬を飼っていないときは うるさいな、くらいで、 なんだったら年越しの瞬間は外にでてちょっと花火を見たりしたもんですが、 今となっては やめろーーー!!やめろーーーー!!っていう思いです。なぜなら、 チプが怯えてパニックになるからです。大晦日に入る前の フライングでやってる花火の音ですでに パニクってるので、大晦日の瞬間なんかここにいられるわけがないと思っています。(余談ですが、今日、1月3日の時点でもまだ時々まだ音がしてます。 でも近所の人と話してたんだけど今年は、鳴り止むのが早いねって。 値段があがったりしたのかな?とさっき外であったとき話してました)


他の家の犬たちももちろん同じ様子。



ので、前もって大晦日、ベルリンにいないように旅行計画をたてています。
去年はリューゲンという北のほうの海辺に逃げました。
しかしそこでも花火は行われ、チプは頭をソファーと壁の隙間におしこんで怯えるというしまつでした。

今年は地図をみてなんとなくきめた ミューリッツという地域の クリンクというちいさな村。
ベルリンの北にあり、湖がたくさんたくさんある地域です。
去年もだけど今年も、U家族と一緒に旅行しました。
U夫が車を運転できるというのも大きな力です。
車でしか行けないようなところがいいのです。
電車すら走ってないような。

クリンクから少しいったところにちいさな町があって そこに観光しにいったとき 犬連れがいるわいるわ。 うちの近所(街なか)の朝の犬の散歩タイムピークよりもっといるいる。
ということはみんな、 逃げてきてる、、ここに!!
ここは しずかなんだきっと!!と期待できました。
街の感じも古くて、いい感じでした。







わたしたちのアパートメントホテルもとてもきれいで、床暖房が快適、広さもまあまあよし。
キッチンもきれいで 調理器具ももんだいなくそろっていて 完璧でした。
もちろんうちらのホテルも犬連れのひとたちがわんさかいました。


薪ストーブもあった



すくすくそだっている U家族の娘ちゃん
ついに、ふた〜ちゃん らしきことを言ってくれるようになりました


湖だらけ 夏はもっといいだろうな〜 

ベルリンから車で3時間くらい。レンタカーで車を借りました。

我々は28日チェックインで1日チェックアウトの4泊5日。

近所を散策したり、隣町にいってみたりなど のんびり過ごしました。
私は最初の2日くらいは風邪で熱もでたりでボロボロでしたが回復しました。


さて 大晦日 夜になるに連れ、若干の花火音はしてましたが、0時を迎えて一斉に花火が上がってるのがまどから見える程度で、クロイツベルク(私の住んでる地域)のように戦争状態では全然なかったです。
もちろん、わたしたちには小さく聞こえてる音もチプには大きく聞こえているので、耳をピンとたてて様子をうかがったり 一時、狭いところに逃げ込んだりしましたが、パニックになるほどではなかったです。 
それよりも 酔っ払ってU娘用の風船を手に持って キュッキュ音をならしてるU夫におびえていました。 (それに対して 年明け早々わたしが怒るという状態)(怒らず、穏やかに一年をすごしたい)(そういう抱負をいだきました)

前の、リューゲン島より静かでベルリンから近いということで 来年もここでいいかなあと思っています。
このブログを参考にしてくれる方がいらっしゃるかわかりませんが、予約を取るなら、8月あたりからもう探し始めたほうがいいです。 年末近くなると、めぼしいところはどんどん埋まります。それほどに犬を飼ってる人たちは逃げ場所をさがしてるってことでしょうかね、、、、

ちなみに、パトの地元友達Nは、今回犬を落ち着かせる音が出る機械を購入、雷とかには 良かったとの報告をうけてたけど、 大晦日には耐えられなかった様子、
震えてソファーの下からずっと出てこなかったらしい。。
Nの犬(タタという名前)はもともとブルガリアで、路上で生活していたところをドイツの保護団体に保護され、それをNが引き取ったという経緯があって、タタはきっと路上生活時代、恐ろしい思いをたっぷりしたんだろうな、と思います。ので、 怯えがチプよりも強いです。

来年はNとタタも私達の旅行に同行することを決めたみたいです。
タタは怯えが強いから、旅行とかもあまり得意じゃないんだけど、それでも旅行を選択するということです。

うちの同じ建物に住んでるチワワの飼い主のひとも、 ほんとにたいへんだった、 ご飯もたべないし、散歩にいくのもその時からすでに花火やってるから 今だけおねがいだからやめて!って言ったわよ、っていってた。 多分彼女はここでははじめての犬のとの大晦日だったはず。
わたしは 犬と逃げる旅行してたよっていったら、ほんとそれがいい、、っていってた。

犬を飼っている人、ほんとにたくさんいるのに、 どうしてるんだろみんな。 

ドイツのクリスマス2018

今年もクリスマスはパトの実家〜親戚のうちに行ってまいりました。
パトの地元はギュータースローという中くらいのおおきさの町です。
そこにいまは両親が住んでいるので一度そこでワンバンしてから 両親とともに
叔父さん叔母さんの住む村に行くという感じです。

この時期は電車も混むので、座席も予約していきます。
1等車にしました。そのほうがストレスが少ない、、ので、、多少高いけど、、
おチプもなれたもので もちろんまだまだ 乗り降りの際ははしゃぐけど、車内ではシーンとしています。

3時間くらいかな、それでギュータースローについて、パトの地元の友だちNが迎えに来てくれて、その友達Nのうちへ。
N は親の家の裏にある小さな家に住んでいて、 パトも昔そこでWGで一緒に3人くらいで住んでいたみたいです。 
そのうちはいまNがひとりで 犬と住んでるんだけど 改装中でキッチンも木でいい感じにやってました。
うらやましい、、家賃がかからないというのは 素晴らしい、、(その家は彼女の家族の持ち家なので) 仕事もちゃんとしてるので、お金は貯まる一方なのでしょう、、いいな、、


その後パト妹(普段はライプツィヒに住んでいる)が車で迎えに来てくれて両親のうちへ。

翌日叔父叔母の村へ。
結婚する前からお邪魔してるし、何かとあつまる親戚たちなのでだんだんとなれてきました。
が、 ドイツ語だらけの苦しみはまだ引きずっております。
おチプがいるから、だいぶ助けられております。

いとこたちで、クヌーデルっていう ジャガイモモチみたいのと、クルーセっていう パンを卵とかとこねてゆでるやつをつくりました。
おばあちゃんのレシピがあるので それにのっとって。

わたしと、いとこのSだけ ベジタリアンなんだけど
その他の人は伝統的に うさぎの肉を食べます。
(それぞれ家庭に伝統があるとおもう)

ちょっとやっぱけっこう、姿焼きっぽい感じなので、直視できず空をみて、は叔母さんが買ってきておいてくれたベジタリアン用のメニューをいただきました。
野菜煮込みでも作っていこうかなと思ってたんだけど、 すでに買っておいてくれたみたいだったので それをいただきました。
あとは、別の叔父さんがつくってきたザワークラウト。(おいしい)

Sは見ても平気なようで自分のご飯をたべてたけど、わたしは年々きつくなっています、、
でもちがうテーブルで食べたいとも言えず もちろんそんなことしたらなんか ちょっとアレですし、ここはぐっと空を見つめてどうにかやり過ごす作戦です。

翌日のお昼はアヒルみたいなやつを食べます。
そのときも私は なるべく何も考えないようにやり過ごしました。

昔はたべたのにな、わたしも。 人は、変わるものだ。
ということはいつかわたしもまた 肉をたべるかもしれないな。

パトが最近買った、The Mind というカードゲームを持っていき、みんなであそびました。
パトといとこのAが白熱した戦いをみせて おもしろかったです。

24,25日を伯父伯母の村ですごし、またパト両親の町に帰って一泊、そこで別の親戚などがあつまり、翌日ベルリンへ帰りました。

ツリーについてるろうそくは、本物の火をつけます
時間がきたら、ツリーに火をつけ、その下にプレゼントを置きます。
みんなで輪になり、クリスマスの歌を何曲か歌い、合図とともに、 クリスマスおめでとうといって、すべての人とそれぞれハグをします。
そしてプレゼントをわたしみんなキャッキャ言って開けます。




いやあ、つかれた。そして太った。
ほんとに、、、
去年もだったとおもうけど 最終日風邪ひきました。


そして ベルリンへ一泊して次の日から年末旅行へ、、、。 つづく。