2019年4月2日火曜日

生活するということ 5 わたしの場合

さてベルリンにもどってきて、まずすることは、 ビザをとること。

当時は通称 学生準備ビザというのが比較的簡単に取れたので、だいたいのひとは、
ワーホリがおわったら、学生準備ビザというのに切り替えそれで2年居られた。

学生準備ビザというのは、大学にいきたいから、そのために語学を勉強しますのでドイツに滞在したいですというビザ。
比較的簡単といったけど、それでも、保険に入ったり、銀行口座を開設したり、友達に手伝ってもらいながら、書類をつくって、予約をとって、 スージーという日本語が話せる子についてきてもらって 2年ビザを取得した。

家はバスチアンと二人暮らし。こんどはノイケルンという、いま若者に人気の地区で、前のゆったりしたツェーレンドルフとはぜんぜんちがう地域。
でもここからならどこでもだいたい自転車でいけちゃう。

家賃は220ユーロ。友達も比較的近くの地域に住んでいるし、ライブをする場所もココらへんにはたくさんある。

共同で借りてる練習スタジオの仲間にもいれてもらって、ますます、住んでる感は強まっていっております。

買い物も1年目よりは比較的スムーズ。何が何だかはだいぶわかってきた。

そして、やはり語学が自信ないのでまた少し通ったりした。

結局 B-1くらいまでやったのかな。(A-1.A-2.B-1.B-2.C-1.C-2とどんどん上級になっていく)
でも語学学校はお金払って、出席しとけば勝手に上級になっていくので。
ホントの実力をしりたかったら、公式テストみたいのを受けないとです。
わたしはお金がないのでもう語学学校はやめちゃった。

なぜなら、学生準備ビザは最初の(カレンダーの)1年は働いちゃだめなのです。
わたしは、1月に取得してしまったため、まるまる1年はたらけなかったです。
しかし、学生の休みの日、祝日や夏休みなどは働いても良いらしいので、
いつもの日本食屋さんではたらかせてもらっていました。


3年目からはまた日本食屋さんで働きながら、 音楽やったり、旅行に行ったり。
このあたりからあんまりはっきりとした記憶がありません。

同じような毎日だったのかな。

でもそれは また、そこに暮らしている ということでもあるのかもしれません。

だんだん、道も覚えてきたり、どんどん強くなった気がする。

ほんとに、なにしてたんだろ、って今思い返そうとするけど、思い出せない。
多分ブルガリアに行きだしたりしてたかな。
ブルガリアの旅行中に、まこさんと、punktum(過去4回やった 日本のアートアニメを上映する会)を始めようって企画したりしたな。

生活しようって決めてきたのに、あいかわらず、生活のためのバイトにあけくれる日々だったような。
バンドをやったり、ソロもちょこっとやってみたり。
曲をかくために いい景色のなかで過ごしたいっておもってたのに、
曲をかく余裕みたいのはまだ、ちゃんとうまれてなかったのかな。
他のことで一杯だったような。

バンド用の曲はつくっていたけど。

スザンナとリコリスっていうバンドやって、スザンナがイタリアに帰ることになって、リコリスは一回休憩にして、
その後、リアムとツヴァイウントツヴァンツィヒツヴィリンゲというバンドを組んで。
それはでもあんまり活動しなかったな、
練習は時々してたけど。

リアムは他にもバンドを何個もやってたから忙しいのと、よく旅にいくのと、私がバイトが忙しいのと。

そんなこんなで、 そうだ、 リコリスだ、
リコリスのライブを パトが見に来てたんだ。
そこで、夫となる パトと出会います。





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