2019年4月2日火曜日

生活するということ4 わたしの場合

さて、1年で日本に帰るといったものの、もう、心は決まっていた。
まだここにいたい。
たった1年じゃ何もわからない、とおもった。

ただ、1年住んだだけ。 生活 というのとはなんだか、違うと思った。

でも、日本には仕事もある。
そして、なにより、ビザ。
ビザのために貯金がいる。
一度帰って、仕切り直してこようと思った。

家は1年の約束だったので、ハイデのうちは出ることにして、バスチアンの家が一部屋あくというんで、そっちに12月には帰ってくると約束して、荷物も地下に少し置かせてもらって、
日本に帰った。

よく、一度日本に帰っちゃったらなっかなかもどってこれないよ、っていう話がある。
なにしろ日本で生活しはじめたら 慣れちゃって めんどくさくなる。語学の心配も、ビザの心配もない。
でもわたしは、荷物をおいてきた。 家の約束もしてきた。
帰らなくちゃいけない理由をちゃんと残してきた。

そして、仕事関係も、ご厚意に甘えて、承諾いただき、(いつもほんとに心から優しくしていただけています)
写真の仕事も職場復帰させてもらい、あとはカフェの仕事と、後半それでもお金が貯まらないので、夜に近所のパチンコ屋さんで3ヶ月でやめますというお話をしたけど、それでも雇ってもらえたので3つ仕事をかけもちして、お金を貯めた。パチンコ屋さん自体、入ることすら生まれて初めての状態で、あきらかに見た目がほかの働いてるひとたちと違うのに、やさしく教えてもらえて、ありがたかった。休憩室のタバコ臭さには参ったけど。

いま、ふりかえってみても、 みんなやさしい。関わる人、みんなやさしい。
本当にありがたいです。


さて、2012年の12月はじめ、約5ヶ月後、ベルリンに再びかえります。

空港に見送りに来てくれた、母が いってきます、のとき、みみもとで、おかあさんの夢だから っていってくれたことが すごくじーんときた。
母も海外で暮らしてみたかったんだ。

しっかりしなくちゃと思った。





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