2018年4月18日水曜日

トマトビデオ

シュニックシュナックの新しい曲「danke tomate」のビデオをとりました。
といっても全然大掛かりなものではなく、近所と自宅で、
友達にバックダンサーとして踊ってもらい、自宅でグリーンバックで(合成用)撮るという、、。

バックダンサーも6人もあつまってくれて一人カメラの見張りでてつだってくれて、 みんなで楽しく録りました。
パトがケータリングのサラダやフムスを作り、わたしはおにぎりつくったり。
わたしが 構成、撮影、編集、
パトが 小道具づくり、連絡係。
それぞれ役割分担して、その日のうちに編集までおわりました。

動画は今週末あたりに公開予定です。

ダンサーたち、友達に適当に声をかけたんだけど、
普段べつになに人と思って接してるわけではないけどよくよくかんがえたら、国も性別も様々な人たちがあつまって、ああ、いつのまにかこんなに色んな国の友達ができてたんだな、ってちょっと感動しました。

たくさんの国の人達があつまる町でくらしていると、身近に色々な国の人達がいて、 
友達も、みんなそれぞれ違う文化の中そだってきたんだろうな、と思ってちょっと感動する。わたしは、ランドセルやらセーラー服やら制服をきて、、っていう学校生活だったけどきっと、 映画で見るような外国の学校にかよったりしてたんだろうなみんな、、と。

そんななかで暮らしているのは、ちょっと良いな。と思います。


2018年4月13日金曜日

やくわり

最近考えてることは、自分は何をすればいいのだろうということ
日々の生活や仕事とか細かいことではなくて、生きるうえで、何をしたら良いんだろう、と思う。
それを考えていく事自体が人生なのかもしれないけど、、。
そういうのは、どこに住んでたって、だれといたって、やっぱりわからない。
自分探しの旅、みたいなのでは 自分なんか見つからないと思う。いやみつかるかもしれないけれど、それに必要なのは必ずしも旅ではないと思う。
自分は自分の中に居てそんなもの外のどこを探したって無い。

わたしは一体何をするためにうまれてきたんだろうか、

たぶん、幼稚園くらいのときに、母にきいたとこがある。

虫や植物や動物は 誰かに食べられることで、その役割があるけど
でも人間はその輪からはみ出してると思ったから 単純に なんで、何のために存在しているんだろうとおもった。

でもなんか 人はどうして生きるのか、ということばが恥ずかしくて、
なんで双葉は生きているの と訊いてしまい どうしてそんなこというの!と怒られた記憶がある。そりゃあこどもにいきなりそんなこといわれたら、びっくりしてなんてこというの!とおもうだろう、、 そのときは、うまく伝わらなかったな、と思った。
それからもう少し大きくなって、小学生くらいで、もういちど母にきいてみた。
どうして、人間は何のためにいきているのかと。
はっきりいってその時の母の年齢はいまのわたしかもうすこし上かもしれないけど、さほど変わらない。 
そんな、何人もの哲学者が一生をかけてずっと考え続けてきたような事をきかれても 困るに決まってる。
しかし子供のわたしは お母さんはなんでも知っていると当たり前に思っていた。

母は うーーんと困った様子だったけど、 誰かを幸せにするためじゃないかな と答えてくれた。
わたしがいまこの年令になって思うことは、母、ナイス!良い答えをいってくれたな!て思う。
小学生のわたしは、ああそうか〜!と納得した。
納得したが、まだやっぱり他にも答えが有る気がして 時々かんがえている。
今は、 人間の存在理由というよりも、なんで、何を目的にして生きているんだろうかということを時々思う。
簡単に動物的に言うと、種を残していくというのが目的で存在しているんだろうけど、
そういうのとは別のなにか、

たとえば、わたしは歌を作って歌うのが好きで その歌によって誰かが喜ぶかもしれない。 でもわたしは歌を人のために作ることももちろんあるけど、 ほとんどは自分の思ったことや見たものを歌ってるだけで 誰かを癒そう、励まそう、喜ばそう、なんてそんなことは全く考えてない。結果それが誰か の役に立つかもしれないけど、もちろんそうならば、すごく嬉しい、でもやっぱりそれはわたしが意図してやったことにならないから、
それはちがうのかなあ、と思う。
こんなもの、もちろん答えなんかでないとどこかでわかっていながらも、考えている。
たぶん、考える ということ自体が答えみたいなものなのかもしれないなあ。




ライブした

先日数カ月ぶりにライブをしました。パトとやっているシュニックシュナックという二人組のやつです。
https://www.youtube.com/watch?v=AOXoARM4Uoo

ノイケルンという地域にある ループホールというちいさいところでやりました。
人もたくさんで楽しかったです。














ベルリンでライブをやれるところは様々ですが、だいたいこういう小汚い(!)ところです。もちろんビッグスターやたくさんお客さんを集められるバンドとかはコンサートホールやもっと大きめのライブスペースでやりますが。

こういう小汚い(失礼)ところがたくさんあって、他には、モナーヒ、ウェストジャーマニー、トリックスター、エーバー、インターネットエクスプローラー、バイルース、ショコラーデン、マリーアントワネットなどなど、もっともっといっぱいありますが、(全部カタカナでかいてなんか変な感じになりましたけど、)そういうところで私達のようなもののライブが見られます。
そういうところをクラブとよんでいます。(もちろんベルグハインのような大きなテクノのところもクラブといいますが。)
普段はバーとして機能していてライブの有るときはバンドがそのスペースでライブをするというかんじです。 
チケット代はそれぞれですが、だいたい3〜5ユーロ、高いときは7〜12とかそのくらいです。 入るところで払って腕にスタンプを押して貰うという形がほとんどです。

大物の前売り券のチケットとか買うレベルのは、日本とさほど変わらないシステムだとおもいます。まえにレディガガを大きなホールに見に行きました。それでもチケット代は日本に比べると安いと思います。

ちなみにライブとはあまりいわず、コンサート(ドイツ語で言うとコンツァート)といいます。

余談ですが クラブのトイレはほとんどきたないです。最近ましになってきたようなきもしていますが。インターネットエクスプローラーは最近できたばかりなのでトイレがきれいでありがたいです。
日本に帰るとどこでもトイレがきれいでうれしいです。


2018年4月8日日曜日

すむところ

妹が6月の末からとりあえず3ヶ月(観光ビザで)我が家に滞在することになった。
妹は本当はアイルランドに行きたいんだけど金銭面やらもろもろで、うちに来ることに。

わたしは最初ワーキングホリデーで1年だけのつもりでベルリンにきた。
そもそも、ドイツに住みたいという思いはあったんだけど、ベルリン以外がいいなと思ってた、都会じゃない方がいいな〜と。そしたらベルリンがなんだか意外に居心地がよくて、ワーホリ終了後、数ヶ月日本に帰り、またベルリンに戻るということにした。
最初1年だけと仕事関係の方々に言っていたし、そんな勝手なことして申し訳ないと思ったけど、でも日本でまた前のように暮らすという選択肢は無かった。
仕事の方たちも、自分の人生だから、とわたしのことを理解してくださって、本当にありがたかった。

ワーキングホリデーの次のビザは いわゆる学生準備ビザといわれているビザ。
大学生になりたいんで語学を勉強します。というビザです。
当時はワーホリ1年、そのあとは学生準備ビザ2年、大学には行かず、その後フリーランス(アーティスト)に切り替えるという流れがあって、(流れなんかあったかしらないけど、そうしてる人がけっこういた)そして学生準備ビザは書類さえあればけっこうすんなりもらえるという感じでした。
ところが今はそうじゃなくなってしまって、本当に大学に行く人以外多分とれないようになってしまってるようです。なので ワーホリからフリーランスに切り替える人が多いみたいです。

もちろんワーキングホリデーは条件さえ満たしていれば確実にもらえます。

フリーランスとるのもなかなか大変ですが 最初は結構取れると言われています。
わたしは学生準備ビザのくせに次にフリーランス取ろうとしたからか、結構揉めましたが。

ちゃんと準備したにもかかわらず、いろいろコレが足りないアレが足りないなどといわれ
結局計4回だか5回くらい外人局に行き、次の予約ももらえず毎回夜中から真冬の外で何時間も並ぶという苦行をしました、、。 
ネットでも予約は取れるのですが、だいたい三ヶ月後くらい先じゃないと予約に空きが無いことが多く、とくに学生ビザのところは人が多いため、なかなかとれません。なので、夜中の2時や3時から並び、整理券をもらい、その後室内でまた4時間とか余裕で待ちます。 そして本ビザをもらえるまで、その間は通称仮ビザというものがもらえます。

何回目かの時に保険会社から待たされている状態の時で、だからまだ保険にはいれていないんだという理由を言いにいったときに、担当者の機嫌が悪かったのかそういう人なのか、仮ビザあげない といわれ(その時は一人でいったときでした。だいたいドイツ人の友達とかについてきてもらう)わたしはそこで引き下がらず、は?おかしいでしょ!わたしのせいじゃない、いま向こうの対応をまってるんですけど!って対抗して、なんとか仮ビザをもぎとりました。(仮ビザはドイツを出る予定がないのであれば持ってなくても良いという話も聞きます。次の外人局の予約があれば、だとおもいますが)
パスポートを投げて返されるという屈辱も味わいました。
他の街はしりませんが、ベルリンは担当者によってもらえるビザ、そこで体験することが全然違います。

最後らへんに当たった担当者は親切で、(それがふつうなのかもしれないけど)次の予約をちゃんと取ってくれました。それのどれだけ嬉しかったことか。。。

わたしはその時の担当の人に、私の入った保険(保険会社にあらかじめ問い合わせてフリーランスの人にも対応してるといわれたので加入した)じゃダメだと言われ、そのせいでいろいろな保険会社に申請したりして(プライベートの保険に入れといわれもちろん、実績のないフリーランス一年目のひとには難しくことわられまくる)時間がかかりました。
その最初に入った保険でも行けたというアメリカ人の友達に最終的についてきてもらい、
彼はこの保険で行けたんですけどなんでわたしはだめなんですか?と言い、
その時の担当者(担当者はほぼ毎回代わるけど情報は共有されている)に、わたしにはどうでもいいわといわれ ビザをすんなりもらえました。
あの地獄のような数ヶ月はなんだったんだ!
わたしの苦労したときと同時期、同じような条件の友達は一発で3年もらえて わたしは苦労して1年しかもらえませんでした。 

ベルリンの外人局は今現在の時点では、基本的にそういう感じです。
そしてビザ取得は年々きびしくなってるともききます。
運のいい人は書類がそろってなくったってビザをもらえたり、また運がわるければ重箱の隅をつつくようなことをされ、担当者が間違えれば通常よりいい条件のビザがもらえたりと、きく話は様々。
ビザ取得をしなくてはいけない人たちはみんなこの苦労を乗り越えて頑張っています。
なので、ビザの取得は、日本人の友達同士でよく助け合っています。

これはわたしの経験、周りの人たちから得ている情報による完全な主観なので わたしの知らない人の間ではすんなりかんたんにもらえるよ!みたいなかんじかもしれませんけど。

フリーランスも最初取れて、その後の延長がまたむずかしいですが 長くいれば居るほどいろんな情報や知識を得られますので、その人次第だと思います。
色々書きましたが何度も言うように、すんなりビザが出る話もよくあるので、みんな本当にあれは運だ と口々にいっています。

ちなみにわたしはドイツ人と結婚したのでいまは 配偶者のビザです。
ビザ関係の悩みからはひとまず脱却できました。でも辛い経験もしたのでビザで頑張ってる人のきもちはよくわかります。

妹の話からだいぶそれてしまったけど、妹ももしドイツに居残りたい場合はそれなりに覚悟が居ると思うし、これから取ろうと思っている人も、そういうこともある、という感じで思っておくといいかもしれません。
アイルランドもまたちがうだろうし、国や街によってもそれぞれちがうでしょうしね、
外国に住むというのは、言語とか文化の壁だとかいうことだけじゃなく、こういうビザ関係の苦労も実はあります。

でもまあなんとかなるもんです。
わたしとしては それ以外とくに、ドイツに住んでいて特別嫌なこともないし、苦労した〜!というようなこともないです。(小さい嫌なことや苦労はある、わたしの発音が悪く言葉が伝わらないだとか、宅配がちゃんとこないだとかそういうようなことは)

ほかには最近じゃ家賃も値上がってるし、まずいい条件の部屋が見つからないということをすっごくよくききます。なので家探しもいまは大変みたいです。

色々書きましたがすべて、なんどもいいますが、わたしの主観ですので、まちがってることもあるかとおもいます。



2018年4月7日土曜日

ドッグラン

ようやくベルリンも春らしくなってきました。
年々春になる喜びの感じ方が強くなっています。冬がながすぎる! 
暗すぎるし寒すぎる! あたたかい日差し最高!紫外線!かんけいない!(かんけいなくはない)(日にあたりすぎるとすぐブツブツができてかゆくなる)
去年の夏も雨が多く夏らしさもあまり感じないまま過ぎていった感じなので今年の春はなおさら大歓迎です。 
しかし油断は禁物、、浮かれてるといきなりまた雪降ったりしますもんね、、

でも今日は暖かい一日!ということでドッグランに行ってきました。
わたしたちの家から近いところで2箇所有るんですが、
一箇所はテンペルホーフの空港跡地の広大な公園の中に有るところ

これは去年の夏かなんかに行ったときの写真

草が生えていてとても広いです。一箇所じゃなくて何箇所かあります。


そして今日行ったのがハーゼンハイデという公園のなかにあるドッグランです。
そちらはもう少し狭く、地面は土メインだけど木も生えたりしていて走るだけじゃない感じです。
そして犬がけっこう多め。

テンペルホフは地下鉄で4駅の距離(犬は子供料金で乗れます)ハーゼンハイデのほうがまだ近く自宅から2駅ほどの距離なので歩いていけるんですが、テンペルホフのほうが広く、またチプシーは芝生がすきだからそちらの方により行きたい気持ちはあります。でもまあ、どちらもいいです。そしてもちろん両方共無料です。

チプシーはなぜか車、バス、タクシー、トラム、電車 などの乗り物が異常に好きで、
全力で乗り込もうとします。 乗り物だけでなく、扉という扉に入りたがります。
ものすごい勢いで、、、 だから 地下鉄に乗るのはちょっとストレス、、(私が)。
車内では静かに横たわったり座ったりしリラックスしてるんですが 扉が開くと乗り降りしたいようです。 

前に来たときは もじもじして私達のそばをなかなか離れずほかの犬とも遊ばなかったのですが、今回は一匹の犬と走り回って遊んでいました。
















暖かい日向で思い切り走りたのしそうでよかったです。

ベルリンで犬を飼い始める 2

ネットで問い合わせた犬は私達の生活向きではなかったのですが、違う犬を紹介してくれるということで会いに行ってきました。

まず、散歩に一緒に行って、犬との相性、私達の様子を保護してる方たちが見ます。
それも私は保護してる人の家に入ってはいけません。そうすることで、わたしは「お客さん」という認識になり、「飼い主」ポジションをとりにくくなるということです。
なので外で待ち合わせです。

それで私達も犬を気に入り、向こう側もokなら、保護の方が私達の自宅や周辺環境をチェックしに来ます。
そして軽い面接のような質問(仕事に行ってる時間帯、どんな仕事をしているのか、犬を飼ったことは有るか、 散歩のルートは家周辺でどういうところに行けるか、動物病院の場所など)をうけ、それで、OKだということになれば ようやく犬を譲ってもらえます。
その時に、300ユーロ前後支払います。それは ドイツでは犬にIDチップを埋め込まなくちゃいけないので、それと、避妊手術済みなのでその代金です。
またドイツでは犬の税金があるので、ベルリンでは私達の犬では月に10ユーロほどで、3ヶ月毎にまとめて払います。(街によって、また、大きさ等で値段が変わるかどうかはわかりません)



初めて会いに行ったときは雨でした。 
この犬は保護した団体によりchipsyと名付けられており、ポーランドの犬保護施設(劣悪な環境ゆえに、ドイツの保護団体が定期的にそこから犬を保護し、ドイツに連れてきている。他によくスペインやブルガリアなどからも連れてこられた犬に出会う)
から、犬を全部は無理なので数頭ずつ連れてくるらしいのですが、
チプシーは連れてくるつもりではなかったのに勝手についてきて車に乗り込んだので 仕方なく(?)つれてきたとのことです。
チプシーは施設の中で勝手に生まれていていつ生まれたかも定かではないようで、 獣医にみせたところ、おそらく2,3さいであろうと言われたとのこと。
しっぽも短く切られています。ドイツでは犬の尻尾を切ることを禁止されていますが、ポーランドでは切ったほうがかわいい(?)とされているのか、へんな長さで切られています。

また、うまれてからずっと劣悪な環境の施設にいたためか、 好奇心のつよさがものすごく、散歩にいくと ぐいぐい引っ張る、見るものすべてチェックする、など大変そうなこともきいていて、実際お試しで散歩に一緒にいったときも、グイグイ感がすごかった印象です。 でも この犬だな という感じがしていたので、もうほかは探しませんでした。

慎重派のパトはもう一回会いに行こうといい、2回お試し散歩に行きました。
そして諸々チェックののち ようやく譲ってもらえることに。(スムーズでした)
譲渡の仕方もきまったやり方があるようで、
まず、私が犬を迎えに行く。(保護してる人の家ではなくべつの待ち合わせ場所に。)
そこへ保護してる人がチプシーを連れてくる。
保護してる人はそこで帰り、チプシーと私と保護してる人のお母さんの車で一緒にわたしの自宅へ行く。そこでわたしとチプシーだけになり、一緒に家に入る。 
とのことでした。
そうすることで、わたしが犬を連れて来た ということになるようです。

犬を迎えに行く日はパトが仕事で休めなかったので わたしは友達のまこさんをさそって2人で行きました。 ひとりだとなんだか不安だったので、、、

  
家に連れてこられた日のチプシー


最初はやはり音などを気にし、保護してくれてた人(2ヶ月ほど預かってたらしいです)
が迎えに来るのを待っていました。 数日経つとここが新しい住処だと認識したようでした。
それから一週間パトもわたしも交互に一週間ずつ仕事を休んでチプシーと過ごす時間を計2週間つくりました。 

ちなみに現在のチプシー(約一年後です)
ちょっと太って いつもリラックスしています。

散歩にいくとグイグイ感はいまだ現存ですが、それでもだいぶましになりました。
拾い食いのクセはぜんぜん抜けません。。。

ベルリンで犬を飼い始める 1

chipsyはポーランドの犬保護施設からドイツの犬保護団体の手により保護されました。
そこの施設の環境が悪いため、定期的にこういった保護団体が犬たちを救出にいって、ドイツの犬が欲しい人の手に渡るよう活動しているようです。

まず、ドイツで犬を買うには、
ブリーダーから買う。
Tierheim(ティアハイム)という様々な理由で飼い主の手を離れなくてはいけなくなった犬、猫、鳥などの小動物の保護施設から譲り受ける、
また個々で活動している保護団体から譲り受ける、
ebayなどで子犬生まれました的なところから買う、等があります。
犬猫を売っているペットショップはありません。
(鳥やハムスター、うさぎや熱帯魚などはペットショップで買えます)

私たち夫婦は犬を飼うと決めてから、まずティアハイムに犬を見に行きました。


ベルリンのティアハイムはドイツでも一番大きいそうです。
大きな土地で中には人工の川や池みたいのがありました。
犬たちの住まいは一頭につき一部屋与えられ、それが円形にならんでいて、真ん中が中庭になっていました。 いぬたちの部屋にはそれぞれ小さい屋外のスペースも設けられていました。まんなかの中庭に犬たちが交互に遊ぶ時間もあるみたいで 元気にはしりまわっていました。
こうかくとなんとも幸せそうな感じがしますが、もちろん施設自体はしっかりしていて、犬たちにもいいと思うんですが、やはりどこか 犬たちから物悲しさを感じました。
ドイツでは殺処分(という言葉すら大嫌いですが)はなく、こういった施設でしっかりと見守っているようです。
この時見学にいったときはほとんどが大型犬で、わたしたちは中型くらいの犬を探していたので、諦めました。誰かに引き取られたり等の入れ替わりがあるのでその時時で違う犬たちがいます。もちろんウェブサイトもあるので、毎日のようにチェックしていましたが、なかなかこの子だ!っていう犬は見つけられませんでした。
最初わたしはやはり、子犬がよかったのです。子犬のほうがその犬の一生で、一日でも長くいっしょにいられる ともったからです。
それになんとなくわたしのなかで 犬は子犬から飼うものだという固定概念があったのも確かです。でもパト(夫)は2,3さいがいいんじゃないか、子犬はずっと見ててあげないといけないし、我々は仕事があるからそれができないことが理由でした。
たしかにそうだな、と思い直しました。
なので私達の希望は、2,3歳でメス 40cmくらいのサイズ で避妊済み という犬でした。
長と同じ時期パトの地元の友だち ナディンが犬を飼い始めて、その子はその時既に2さいだか3さいだかでした。

わたしはそれからも毎日のようにネットをみまくり、いろんな犬を保護しているサイトで
1匹の犬を見つけました。その犬について問い合わせたところ、その犬はとてもスポーティーで1日に1時間ほど激しめのスポーツをできるかどうか聞かれ、わたしたちは両者ともに、スポーティーなタイプではないので諦めました。
しかしその方たちから この犬はどうだ、と提案された犬がいて、その犬に後日会いに行くことになりました。

つづく