2018年4月13日金曜日

やくわり

最近考えてることは、自分は何をすればいいのだろうということ
日々の生活や仕事とか細かいことではなくて、生きるうえで、何をしたら良いんだろう、と思う。
それを考えていく事自体が人生なのかもしれないけど、、。
そういうのは、どこに住んでたって、だれといたって、やっぱりわからない。
自分探しの旅、みたいなのでは 自分なんか見つからないと思う。いやみつかるかもしれないけれど、それに必要なのは必ずしも旅ではないと思う。
自分は自分の中に居てそんなもの外のどこを探したって無い。

わたしは一体何をするためにうまれてきたんだろうか、

たぶん、幼稚園くらいのときに、母にきいたとこがある。

虫や植物や動物は 誰かに食べられることで、その役割があるけど
でも人間はその輪からはみ出してると思ったから 単純に なんで、何のために存在しているんだろうとおもった。

でもなんか 人はどうして生きるのか、ということばが恥ずかしくて、
なんで双葉は生きているの と訊いてしまい どうしてそんなこというの!と怒られた記憶がある。そりゃあこどもにいきなりそんなこといわれたら、びっくりしてなんてこというの!とおもうだろう、、 そのときは、うまく伝わらなかったな、と思った。
それからもう少し大きくなって、小学生くらいで、もういちど母にきいてみた。
どうして、人間は何のためにいきているのかと。
はっきりいってその時の母の年齢はいまのわたしかもうすこし上かもしれないけど、さほど変わらない。 
そんな、何人もの哲学者が一生をかけてずっと考え続けてきたような事をきかれても 困るに決まってる。
しかし子供のわたしは お母さんはなんでも知っていると当たり前に思っていた。

母は うーーんと困った様子だったけど、 誰かを幸せにするためじゃないかな と答えてくれた。
わたしがいまこの年令になって思うことは、母、ナイス!良い答えをいってくれたな!て思う。
小学生のわたしは、ああそうか〜!と納得した。
納得したが、まだやっぱり他にも答えが有る気がして 時々かんがえている。
今は、 人間の存在理由というよりも、なんで、何を目的にして生きているんだろうかということを時々思う。
簡単に動物的に言うと、種を残していくというのが目的で存在しているんだろうけど、
そういうのとは別のなにか、

たとえば、わたしは歌を作って歌うのが好きで その歌によって誰かが喜ぶかもしれない。 でもわたしは歌を人のために作ることももちろんあるけど、 ほとんどは自分の思ったことや見たものを歌ってるだけで 誰かを癒そう、励まそう、喜ばそう、なんてそんなことは全く考えてない。結果それが誰か の役に立つかもしれないけど、もちろんそうならば、すごく嬉しい、でもやっぱりそれはわたしが意図してやったことにならないから、
それはちがうのかなあ、と思う。
こんなもの、もちろん答えなんかでないとどこかでわかっていながらも、考えている。
たぶん、考える ということ自体が答えみたいなものなのかもしれないなあ。




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