2019年4月2日火曜日

生活するということ 6 わたしの場合

当時付き合っていた彼と別れ、そのたしか、何ヶ月かあと、リコリスのライブをしてて、それをみにきていたパト。
共通の友達もいて、何喋ったかおぼえてないけど、なんか喋って、楽しかった記憶がある。
そのあとパトが、ライブたのしかったみたいなメッセージを送ってきて、メッセージをやりとりする仲になり、一緒に音楽をしようということになって、(それがシュニックシュナック)何度か会って、つきあうことになった。
外国人と付き合ったことがなかったので戸惑いましたが、いまじゃ、外国人であるという意識はぜんぜんないです。

パトは日本語もまったく話せず、(コンニチワくらいは分かる状態)ドイツ語のみの会話。
パトの家族や地元の友達の中に入るのは最初は苦痛でいっぱいでした。
それまでは、バスチアンはドイツ人だけど、 ともだちはほとんど、日本、イタリア、フランス、などと、ドイツ人のドイツ語の中で埋もれて生活してたわけじゃないのです。

でもまあ、なんとかなるもんだ。

このあたりから、ぐっと、「生活」に近づいた気がする。

このあとの、ビザの切り替え(フリーランスビザ取得)に苦労するんだけど、パトが手伝ってくれて、パトにビザの大変さをわかってもらうことができた。
そして 私達の中に、結婚という考えもでてきた。

日本に一人で一時帰国してるとき、母のつきそいで救急車にのることがあって、その時、 結婚しようと思った。早く結婚して、母を安心させたいと思った。

それからパトの家に引っ越しし、今度は家賃200ユーロ。時代と反して引っ越すごとに下がっていく家賃。そして場所はクロイツベルク。こちらも人気の地区です。
ビザには苦労したけど、引っ越す家には苦労してなくて、 なんでも一個わるいことがあれば一個いいことがあるんだな、っていう感じです。

パトも前はWG(ルームシェア)だったけど数年前?くらいからもう新しい同居人を探すのも面倒だし募集をやめて一人で住んでいた家だったので、スッといれてもらえた。
しかし、なかなか一緒に住もうと言ってくれず、やきもきしました。(パト超慎重派)

そして翌年、2016年秋に結婚しました。
日本では このひとと結婚しますライブをし、(それが結婚パーティーのかわり)みんなにきてもらえて嬉しかった。
そのあと、ベルリンの役所でちいさな式。
式といっても、
なんか役所の一室で書類にサインするだけってきいてたので。
ふたりだけでやるようなもんだろと思ってた。

でも、日本から両親と妹がきてくれて、すごくうれしかった。
飛行機代結構するし、母が心臓(もうよくなったけど)の病気をしたので、飛行機は無理だろなと思ってたし、そもそも、結婚式と呼べるようなものではないとおもってたから、来てほしいと呼ぶことすら頭になかった。
父も知らぬ間にパスポートを取得してくれてたらしい。
人生で一番嬉しかったことかもしれない。家族がきてくれたこと。

パトの両親、妹、おばあちゃんもベルリンにきてくれた。

それから友人たち。

ちなみに、わたしは自分の住んでる地域、クロイツベルク・フリードリヒスハインの役所でやったけど、もっと綺麗な豪華なとこもあるらしい。わたしのとこは 簡素な建物の簡素な部屋でした。
あと、牧師さんとか神父さん呼びたかったら呼べるみたいです。わたしたちはべつにいいです、っていって呼ばなかった。 ぜんぜんそういう、特別な、なにか厳かなものとおもってなかった。役所の手続きのひとつのようなかんじがして。


なんかだれかわかんないけど 区長?それかその役場のだれか偉いっぽい人がなんか話をしてくれて、各々サインして終わりです。


父がないてるのをみて、こらえきれず泣いてしまった。
それで、ああ、わたし、結婚するんだとおもった。
ウエディングドレスも花嫁からの手紙もなにもない簡素な式だったけど。

その結婚式の前日に両親と妹とだけで 小さなまちに小旅行にでかけた、日帰りの。
そこで偶然の出会いで、教会で結婚式のバイプオルガンを弾いてもらえたこと。それもとても感動した。

いまおもったら、目に見えない力も、祝福してくれたのかもしれないな。ありがたいな。


結婚に対して昔から別に特に思い入れがなく、 りっぱな結婚式をしたいとかウエディングドレスを着たいなんてまったく想像すらしなかった。想像通りにウエディングドレスきてないけど。
でも一応、ワンピースきようとおもって、 通販で麻のワンピースを買った。
パトにじゃがいもの袋みたいだね と言われた ワンピースと、リアムがつくってくれた、花かんむりで結婚式をしました。 それで十分。
家族と友達がいてくれて、目に見えない力もお祝いしてくれて、それ以上必要なものなんかない。

そういえば、結婚決めたのも、親に、メールで ふたば、結婚するから こんど日本につれていくね みたいな感じで報告したな。
パトには、日本ではだいたい、 親に、この人と結婚していいですかっていうんだぜっていって、 日本につれていき、両親にあってもらって、パトは、父と英語で話していた。緊張してニヤニヤしてたけど。わたしもなんか緊張した。
あとから父がパトに、双葉が自分で結婚相手みつけて このひとと結婚するからって勝手に決めてからいったことが嬉しかったっていってたらしい。おとなになったんだな、と思ったと。

そういえば結婚を反対されるなんてことは頭の片隅にすらなかったきがする。
相手がドイツ人でも。 それは幸せなことだな。
信頼関係が、多分ちゃんとあるんだ。

だいぶ脱線しましたが、そんなこんなで結婚。
ビザも無事、通称結婚ビザ・配偶者ビザにきりかわり、ビザの心配はなくなりました。
これはかなり大きい。
海外で生活する人にとって、ビザはいつも大きな問題です。
(就職して仕事のビザだしてもらってるひとは別でしょうが)

やっと、足元がかたまったという感じ。

といっても、これはあくまでわたしの場合なので、人によって様々です。

この時点で、ベルリンにきて、5年。(わたしのとっての)本当の生活はこれからっていう感じです。









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